―― 8代目又左エ門襲名に関してお聞かせいただけますか。先代がお亡くなりになって1年以上が過ぎて、この時期に襲名をしようとお考えになった確固たる理由がありましたか。もしおありでしたら、お聞かせ下さい。
これまでに知人の襲名には、何回か出会わせたことはありましたが、自分のこととして真剣に考えたことはありませんでした。襲名について考え始めたのは、実は、先代が逝去してからです。先代が逝去したから襲名するのではなく、自分にとって、あるいは、会社にとって大きな節目だから襲名するということにしたいと考えるようになりました。それが、創業200周年という今年であり、母なる会社である「中埜酢店」の80回目の設立記念日である6月24日ということです。また、ちょうど創業200周年を機会に新しいグループビジョンを策定しているところでもあります。
―― 8代目を継いだことで、ご自身のお気持ちの上で、何か変化はありましたでしょうか。
先祖代々の又左エ門という名を名乗るということと、自分らしさを発揮するということを、どうにかして両立させたいと考え、襲名についてはいろいろと悩みました。ちょうど、創業200周年を機会に新しいグループビジョンを策定しているところですが、新しいグループビジョンでは、ミツカングループらしさを打ち出したいと考えていました。自分も個性を発揮したいと考え、新しいグループビジョンも会社としての個性を打ち出したいと考えているならば、自分が襲名をして、会社としての個性を実現するリーダー、すなわち、歩くビジョンになればよいと考えるようになりました。ところで、今回の襲名では、自分で自分の名前をつけるという大変貴重な経験をさせてもらったと思っています。
―― 7代目から直々に「8代目を継ぐんだぞ」といわれたのはいつ頃だったんでしょうか。
わたしには男兄弟がわたしを含めて3人ありましたが、先代は男1人女3人の4人兄妹だったので「自分にはスペアはなかったが、子供にはスペアがたくさんある」と笑い話で話していたようです。わたしが当社に入社ししてしばらくして、先代が「8代目はおまえが継げ」と云ってくれましたが、「経営は別だぞ」ともいわれました。もしもわたしに経営者としての能力がなければ別のひとに経営は任せろといわれました。