禅僧に、「人の幸せは、人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人に必要とされることです。愛されることを除くと、あとの3つは、社会で働くことによってこそ得られます」と教えられてから、働く場の拡大に開眼した。
人脈をたどり、一時はカセットテープなどを生産し、大手オーディオメーカーに納入する仕事も請け負った。工程の環境を整えることで、品質の高い製品を生産できたという。現在は、粉の出ないチョーク、環境に配慮した白線引きの粉、プラスチック製品などを製造している。
工場には、毎日、見学者が訪れる。案内役の大山さんは、「各持ち場でテキパキと作業をこなす姿に、心を動かされる人がいます。後日、激励の手紙も寄せられます」と話す。
知的障害者の平均年齢は46歳。「仕事に没頭する彼らを見ていると、いろいろな人が働ける、もっと良い世の中を作って――という無言のメッセージが伝わってきます」と、気持ちを新たにしている。
(2008年11月7日 読売新聞)
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●経営姿勢を変えた一言・・・
「1959年。養護学校の先生が卒業予定の少女2人の就職の依頼に来た。最初は取り合わなかったが、3度目の訪問で、「この子たちは、就職できないと親と離れて地方の施設で暮らすことになります。一生働くことを知らずに終わってしまいます。一度でも働く経験をさせてくれませんか」と。この一言が「今の自分を作りました」と、大山さんは振り返る。
2週間にわたる実習期間中、2人は昼食の時間になっても手を休めることなく、懸命に汗を流した。心を動かされた従業員が、最終日に「我々が2人の面倒を見ますから」と懇願し、採用が決まった。」
◆たといどんな状況でも経営者は理性的に情報を判断しなければ生き残ることはできない。そんな厳しいビジネス環境で、障害者を受け入れるという決断をどうして下すことができたのか?
<大山泰弘さんの運命式>
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