●帯祝い
「帯祝い」というのは、「着帯祝い」ともいわれ、妊娠5ヶ月目に妊婦が「岩田帯」という腹帯を巻く儀式のことです。
この日は、戌の日に行います。
どうして戌の日なのかというと、犬が多産でお産が軽いことから犬にあやかってこの戌の日に帯を巻くのです。
まあ、それだけ妊婦にとって昔はお産というのは命懸けの仕事だったのです。
それに現代のように医療も発達していませんから、無事の出産を祈ったのだと思います。
いつ頃からこういう儀式が行われるようになったかというと、江戸時代頃からだといわれています。
この日は、妻の実家から岩田帯に使う白木綿、米、小豆などを贈り、帯役という子宝に恵まれた夫婦に立ち会ってもらって、妊婦の下腹部に岩田帯を巻きます。
どうして岩田帯というのかというと、斎肌帯の読み方が岩田帯に替わったものです。
意味としては「斎」がけがれを意味しますので、岩田帯を巻いて産神様に守ってもらおうとしたのです。
医療の発達していない昔のことですから、これは真剣な儀式でありました。
それに、現実的には、この帯を巻くことでお腹の胎児守り、妊婦の腰痛や冷えを防ぐという意味もありました。
また、お腹の胎児が大きくなりすぎるのを防ぐ意味もあったように思います。
●ヘソの緒
病院などでは出産が終わると、臍帯(母親と胎児をつないでいたヘソの緒)を桐の箱に入れて母親に渡します。
ヘソの緒は、胎児にとってはライフラインでありましたから、実に母親との絆の証明でもあります。
ヘソの緒は乾燥させて桐の箱に入れ、その箱に子供の姓名、生年月日、両親の名前を書いて神棚に供えました。
そして、子供が成人するまで守り神として保存し、子供が巣立っていくときに本人に手渡していました。
●お七夜
元々、平安時代の貴族社会では子供が生まれた日を初夜、三日目を三夜、五日目を五夜、七日目を七夜、九日目を九夜といって、「産立ちの祝い」を行っていたのです。
それが、江戸時代にはいると、徳川家ではお七夜を命名の儀として諸大名から祝いの品を受け取るなどの公式行事にしました。
これが庶民にも広まって、命名当日は奉書の紙に墨字で「命名・・・」と名前と生年月日を書いて、神棚や床の間の柱などに貼り付けたということです。
●赤飯について
慶事に出されるものとして、赤飯は誰でも知っていることでしょう!
この赤飯は、鎌倉時代の宮中で節句の時の膳に必ず出されていたものです。
赤飯というのは「晴れ」の日の食べ物であったわけですが、そのいわれはというと、昔は赤米を栽培して食べていたことから、それに似せて餅米を蒸して赤く色づけすることで赤米に似せたらしいとか、焼き畑農業時代は2年目に必ず小豆を栽培したために赤飯を出すようになったといわれています。
もう一つ重要なことは昔から赤色は「魔除け」の力があると信じられていたので、こういう習慣が残ったのではないかと思います。
それにしても赤飯に魔除けの意味があるならば、そう思って食すれば効果あるかも知れません。
●お宮参り
生まれた子供をはじめて家の外に連れ出して、近くの神社などにお参りする儀式を「お宮参り」といいます。
平安時代に貴族の間では「歩行初め(ありきぞめ)」という、生後20日から50日くらいの子供を連れて、吉の方角にすむ知人宅を訪ねたのが始まりといわれています。
室町時代になると、三代将軍になる足利義満が生まれたときに盛大に宮参りを行い、これがきっかけで庶民にも広まったといわれています。
今は、男の子生後32日目、女の子33日目に行うところが多く、地域によってはお七夜とか百日目とか、宮参りの期日は様々ということです。
●お食い初め
生まれて百日目に行う儀式が「お食い初め」になります。
これは、子供にとっては初めて母乳以外の食べ物を箸を使って与えられることになります。
この日は子供のために新しい茶碗、お膳、箸などが用意されます。
一の膳には握り飯、鯉又は鯛の焼き魚、梅干しと小石を添えます。
二の膳には紅白の餅を添えます。
小石は、氏神の境内から拾ってきて添えます。
後で子供の名前を書いて氏神に納めることになります。
小石を添えるのは歯固めという意味が込められているのです。
もう一つ、この「お食い初め」には、子供が一生食べ物に困らないようにという親の願いが込められているのです。
●初誕生日の祝い
満1才の誕生日には、夫婦や両家の両親も集まって盛大にお祝いをしたものです。
地域によっては、ついた一升餅を風呂敷に包んで子供に背負わせるところもあるのです。
餅の重さに子供が泣けば、泣くほどいいということらしいのです。
そこには早く立って歩いて欲しいという願いや、あまり速く歩き出さないように(現代ではしっかりとハイハイする方が赤ちゃんの成長にはいいといわれている)など、いろいろと願いがあったようです。
この日は、餅の他に赤飯や尾頭付きの鯛などを供えたそうです。
●七五三
3才の男女の子供、5才の男の子、7才の女の子の成長を祝って、晴れ着を着せて氏神様のお祓いを受ける行事です。
昔は正月や誕生日など吉日におかれたのですが、江戸時代に徳川綱吉の徳松君の祝いを11月15日に行ったことから、この日に一般でも七五三の儀式を行うようになりました。
この儀式は、武家では男女とも3才になるとおかっぱ髪から「髪置きの祝い」を行い、7才になった女の子には初めて帯を着ける「帯解」を行ったことが七五三の原型と考えられています。
それよりも、死亡率が高かった昔は、7才まで無事に生きてきた感謝のお祝いを氏神に見せてお祝いする意味合いが強かったのではないかと思います。
●十三参り
十三参りというのは江戸時代にさかんに行われた行事で、13才になった子供を連れて旧暦の3月13日前後に、虚空増菩薩を安置しているお寺に行って親子でお参りする行事なのです。
これは子供に、虚空増菩薩のように計り知れない知恵と福徳をもらうためです。
また、13才という年齢は男の子であれば「半元服祝い」の意味もありましたし、女の子は初潮と重なる頃なので女性としての着物を着せてお参りをしたといいます。
女の子は厄年にも重なるので厄落としの意味もあったようです。
それにしても、昔の人の知恵には今でもまなぶことが多いように思います。
●元服の祝い(今でいう成人式)
元服の儀式は古くからあり、682年には儀式として制定されていました。
元服の「元」は首を表し、「服」は着用の意味があります。
子供から大人への通過儀礼としてこの儀式が行われていました。
中世以降の武家社会では、男子は15才くらいになると元服の儀式を行い、童名から大人の名前に命名してもらい、烏帽子という冠を被ることになりました。
この儀式では、烏帽子親という人がいて、この烏帽子親から一字をいただいてそれまでの童名から改名をしたのです。
こうして一人前の大人として認められていくようになりました。
女の子の場合は、13才から16才頃に初潮を迎えるなどして大人の条件を備えるようになるので、この年齢になると、垂らしていた前髪を結い上げて髪上げをし裳(正装の際に付ける衣)を着てお歯黒をし、眉墨を描くことが許されるようになりました。
現代では成人式として行われていますが、昔の元服式は今よりももっと責任の重いものであったことは確かです。
そして、元服には烏帽子親など自分をバックアップしてくれる社会的なつながりがしっかりとあったのです。
できれば今の成人式も昔のようにちゃんとしたつながりと責任があって欲しいと思います。
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