●社長の器・・・◇社長の運勢で会社は廻る
◆社長の運勢で会社は廻る。
例えが古すぎて、適当かどうかはわかりませんが、愛読していた司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の中で、日露戦争の時の連合艦隊司令長官が”東郷平八郎”に決まった。
選ばれた理由は、彼が参加した戦争で負けたことが一度もなかったので、彼は「運のいい男」だからということらしい。
これが事実かどうかは分からないが、東郷率いる連合艦隊はロシアのバルティック艦隊を破り、日露戦争を勝利に導いた。
この時の東郷の統率力というのは皆が感嘆したというからやっぱりたいした提督なのだ。
会社というのは一個の組織体であるから、それをどのように運営するかで全体の運命は自ずと決まってくるようになる。
だからこそ、トップの決断は重いものなのだ。
そしてそれに見合うだけの報酬もある。
ということはトップというのはそういう判断能力を常に持ち合わせていなければならないということでもある。
社長が組織を運営するというのは、基本的には人事に現れる。
人間をどのように扱い、人の能力をどうやって引き出すことができるかということにかかるからだ。
自分が仕事を行うのではなくて、仕事をみんなが一生懸命行う求心力をトップは持つことができなくてはならないのだ。
陽陰姓名術は、社長やトップ、リーダーが自分の持つ運命式をどのように運営すればいいのか、どういうリーダーになれるのかということを、しっかりとアドバイスすることができる。
★社名・店名は器
社名・店名は器である。社長というリーダーを入れるだけの容量がなければならない。
それに、職種によっても器としての格数・画数が影響を受ける。
だから、社長の運勢と、業態・業種とのバランスから社名・店名は判断する。
★陽陰姓名術の判断
運命式のバランスを大切にして鑑定をする。
自分の運命式をどのように育ててきたかが重要になるために、親子関係や周囲の人間関係、影響を与えた人などからその人の社会的な活動や、家庭内での行動での運命式の現れ方を判断することになる。
その為自然と自分の人間関係のあり方が見えるようになる。
●社長の器・・・◇社長の運勢で会社は廻る
●社長の器・・・◇格言
●社長の器・・・◇格言
◆格言から社長の器を考えてみましょう!
格言-自分を開発し、発展していくためには、他人と同じ考え、同じ行動をしてはならない。 ---盛田昭夫ー---
農耕社会で長く生きてきた日本社会では、一斉に共同で田植えをし、収穫をするという共同歩調がどうしても必要であった。
そして、少ない耕地面積で高井収穫を上げるためには、いつも技術改良する必要性に迫られてきた。
これらの自然の風土が、人間性に与えた影響は大きいはずである。
そこから生まれてきたのは、他人との協調、和の精神である。
こういう中で、リーダーになるためには、共同、協調、和の精神では集団を引っ張っていくことができない。
皆がこういう性質を持つ以上、港は違う異質な何かを持たなければ、リーダーとは皆が認めないのである。
だから、日本みたいな世界ではこういうちょっと違った人がリーダーになるのである。
しかし、個性が強く自己主張が強い欧米型の社会では、リーダーは反対に協調や和の能力が、強いリーダーシップと共に 必要になるのではないかと思う。
日本では、人とは違う何かを意識し続けることが、成功への一歩と思う。
格言-着眼大局、着手小局。全体を把握しながら身近なところから歩を進めよう。 ---田崎雅元(川崎重工業社長)--
全体を見つめられる人!これは、なかなかいない。
こういう人がちゃんといればその組織は道を誤ることはないであろうが、だいたいは、人間に欲があるからどこかで失敗をする。
じゃあ、欲が間違いなのかというとそういうことではない。
欲は人間にとって必要である。
欲は発展の原動力だからである。
問題は「私欲」である。仮にも組織の長たる者は、常に大局全般にわたって考えられる人でなければならないのである。(理想として!)
要するに、全体と個のバランスと順序なのであるがこの辺の使い分けが難しいのである。
格言-飼い犬の甘えを捨てて、野生のオオカミのたくましさを身につけよう。 ---津村準二(東洋紡績社長)--
世の中は、会社というシステムの中に沢山の人が構成員として入っている。
そして会社人間という言葉が生まれた。
会社という組織の中で如何にして出世し、生き延びていくかということなのである。
オオカミになれ!と檄を飛ばすことは、守られた旧秩序を壊すということであると同時に、旧秩序の番人であった人々を追放し、新たにオオカミをトップにした社会システムを作るぞという宣言に他ならない。
そういう訓辞を述べるトップが既にオオカミの標的になっているのだ。
時代は今や新たなオオカミを必要としているのかも知れない。
格言-成功は反省と努力。 ---本田宗一郎(本田技研工業創業者)---
積み重ねという言葉があるが、こういう「反省と努力」ということをちゃんと繰り返すことができる人というのは、偉大な人といえる。
反省と努力、それは進歩の証明である。
動物は同じことを何度も繰り返す。学習効果が少ないのである。
人は、同じ過ちを繰り返さない。
そこが万物の霊長たるゆえんなのである。
すると同じ失敗を何度も繰り返している人は、どうも人間失格かも知れない。
まあ、私たちなんかはそのうちの部類で、あまり偉そうなことはいえない。
大いなる反省をする人は大いなる努力ができる。
そう考えると、どのくらい反省をちゃんとやったかが問題になる。
一番は、反省なのである。
格言-人にはそれぞれ役割というものがある。 ---海老沢泰久(作家)---
役割というのは、おもしろい言葉だが、考えねばならないことがある。
それは、損な役割と得な役割があるということである。
どういう訳か、そんな役割ばかり回ってくる人もいる。
かくいう僕もその一人だが、役割にはそういう役回りがあるらしい。
もう一つ役割の中には、器という意味がある。
役割が回ってきても、その器であるかどうかが大きな問題になる。
器、能力?とも考えられない。
何故かというと、器の中には心のキャパシティから、人脈までいろいろな要素が入るからである。
もう一つには、”分”というのがある。
分不相応ということもある。
この分にはどうも自分の地位とか、出身とかそんな。要素まで入ってくる。
格言-機会を待て。だが、けっして時を待つな。 ---ミュラー(ドイツの詩人)---
チャンスは、一度来れば二度とやってこない。
そのチャンスを逃がさないよ うにするにはどうすべきか?
それが問題だ。
これもチャンスかもしれない。
今回もチャンスかもしれない。
そういって迂闊に乗っていれば、成功できるチャンスまで失いかねない。それでは、どうやってチャンスを見分けるのか?
答えは簡単である。
人に頼るチャンスは、本当のチャンスではないからそれは断るべきである。
また、断らないまでも、自分がリスクを負わないようにすることである。
チャンスというのは、自分で作り出すものである。
自分で積み重ねてきた努力の結果に神がほほえんでくれるのである。
人には偶然のように見えても、それは当人にとっては偶然ではない。
自分のやってきたことに対する、チャンスの神のご褒美なのだ。
格言-威張る社長は威張らないと権威が保てないからです。 ---飯田亮(セコム最高顧問)---
威張る!威張りたい!誰もがみんなそういう世界があるように思う。
偉くなったり張ってやろう!
そう思っている人は少なからずいるはずだ。
これも優越感の表れなのだろう!
別に威張ったからって偉いって事が認められ、皆から尊敬されるということではないだろうにである。
威張らないと求心力を保てない人と同じくらいダメな人が、同情を誘うリーダーである。
同情心に訴えなければ人を指導できないのは・・・?威張ったり、同情心を誘ったりするのは、自分に自信がないからである。
いずれにしても、人がついてこない人はリーダーにはならない方が良い。苦労するだけである。
リーダーは、欲や得などの利害で人を動かそうとしてもいずれ限界が来る。
そんなことよりも、このリーダーのために何かアクションを起こしたい!
そう思わせる人が真のリーダーなのである。
そのためには、目的、価値観、方向性、方法論、戦略性をしっかりと持っていて、部下の意見もちゃんと聞ける人なのである。
そんな人がいれば、部下としては苦労しないか!
格言-人はよほど注意せぬと地位が上がるにつれて才能が減じる。 ---石黒忠悳(軍医)---
地位に胡座をかくということがある。
地位というのは、付属として権力や名誉やお金がついて回る。
だから、人はその人の人格にふれて屈服しているのではなく、その人の背後にあるお金や利権に頭を下げているのである。
だから、それが悪いというわけではない。
そういうものは誰しもが求めるものだからである。
それを自分より早く手に入れた人とそうでない人との違いがあるだけで、だからそういう人について自分もその権力や金力の恩恵にあずかりたいのである。
梯子をはずされるということがある。
いい気になっていると、上まで登らされて、気が付くと部下から梯子を取られてしまって自分には何も残っていないことに気が付く。
人は神になることはできないと同時に、人は物で管理することもできないのである。本人の体恤力こそ愛である。
格言-頭の良い暗い人よりも、頭の悪い明るい人の方が立派な経営者になれる資格がある。 ---小林一博(経営コンサルタント)---
経営者の資格とは何だろう? そう考えてみると、「?」マークになってしまう。
この格言にあるように明るい人 であれば頭が悪くていいのか?ということは右か左かの極論だが、少なくとも、頭が良くて明るいに越したことはない。
でもそれが、経営者の条件かというとそうとはどうしても考えられない。
ここでいう経営者は明るい方が、従業員の受けもいいし、やる気も出てくるだ ろうし、人を指導するということでは重要な用件と思っているらしい。
それはそうだと思う。但し、ここでいうような指導者像は現場の指揮官の必要条件と、経営者の要求される内容は本質的に違うものなの である。
経営者に必要なことは、どうやって会社を維持し発展させるか!
そのためには 何を準備しなければならないか?
将来的に見て方向性と目的をどのように設定 するか!等々、もっと戦略的な内容が必要なのである。
もちろん、人望も必要 かもしれない。
昔、軍隊でどういう人が兵隊から人気があったか!
人のいい士 官ではない。
自分を生きて戦地から帰らしてくれる指揮官こそ真に人気があっ たのである。
戦略的な思考ができて、それらを用意周到に準備し、訓練を怠らない人物こそ が経営者なのではないか?
そういう意味では戦国時代の織田信長などは、すご く優秀な経営者であるといわざるを得ない。
戦略と戦略目標に向けて準備したものだけが生き残れるのだ。明るくてノー天 気な方は指導者にはなれない。
格言-賢者は長い耳と短い舌を持つ。 ---西洋のことわざ---
長い耳は情報網、短い舌は失言をしない用心深さ、ではないかと思う。
いつも不思議に思うのだが、歴史の中で情報を扱う人が重要視されてきたことがないように思う。
忍者という集団がいたというのですが、実態は小土豪の群雄来割拠の争いの中で磨かれた技術が戦国時代の有力大名に利用されて、情報宣伝と内部撹乱の役目を担ってきたようである。
秀吉の小田原攻めの時に有名な小田原評定は、北条家の情報収集のルートが時間がかかりすぎた為という説もあるし、北条家の内部が創業時のようには一致していなかったという説もあるが、本当のところは、戦略ミスであろう。
戦国時代にあって、京都や有力諸大名の情報をしっかりと把握し、情勢分析ができていなかったためと思われる。
あまりに関東に目を向けすぎていたのである。
弱者の戦略というのがある。
その反対に強者の戦略もある。いずれにしても、彼我の戦力や戦闘能力をどう評価するかということになるが、その根本は情報の質による。
どういう情報を集めるかということが問題なのである。
そういう戦略的な指示を出せるリーダーは、長い耳を持つことになる。
信長は桶狭間の戦いで、籠城か野戦かは最後まで口にしなかった。
これも情報である。
最後はリーダーの情報センスの問題になる。
ウサギの耳は伊達に長くはないのだ。
格言-独立したくとも、駆け出しは組織に所属する方が有利。 ---小田光康(早稲田大学講師)---
個人と組織という問題はいつでもついてまわる問題だ。
組織というのは、集団で目的に向かって行動する。
必然的に秩序がしっかりしていて、上下関係が厳しい。能力のあるものが出世をし、能力の劣るものは脱落していく。
組織における能力というのがある。
それは個人の持つスキルということではなく、リーダーとしての力である。
それは個人の持つ技能というものではなく集団を統括し、目的に向かって円滑に動かすためという異能である。
これは誰も規定しようがないので、あえて異能とする。
組織というものは、全く勉強することが山ほどある。
無駄なようなことも勉強だ。
人間を研究する良い場所でもある。
個人と組織の問題は、いつの時代でもある問題だが、乱世になればなるほど個人の能力が問われるようになることは間違いない。
そういう意味では今は乱世に近いかも知れない。
既存の社会形態が崩れ、新しい秩序を模索しているといえる。
そういう中で男の働き場所、女の働き場所、家庭の存在意味、教育のあり方、すべてが問われようとしている。
だから今社会は混乱している。
そういうときこそチャンスでもある。
個人の力が問われるのだ。社会の秩序がいろいろなところから変わろうとしている。
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