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格言日記46

日記風の格言

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07年11月29日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-そういう歳なのかも知れない。
---伊集院静(作家)---

昔から、何でも歳の性にするのを潔しとしなかった。だから、「歳だか
ら」ということばを聞くと「嫌な気分」になったものだ。

ところが、最近自分の方から「歳!」をいうことが出てきてしまった。
嫌だなと思いつつも、相手との会話のやりとりで、「歳」でかたづけよ
うとする「ずるさ」がでるようになってしまった。

こうなったら昔は「引退」ものであったのだが、今はそういうわけにも
行かないから、出直しを考えるしかない。
何を出直しするかというと、年齢である。もう一度20代に戻って出発
するのである。世の中を歩くときは、そういう歳になるということを経
てきたのだから、その年をイメージすればいいのだろう!

我が家の山の上とはじめて手をつないだときに体中に電気が走った。誰
しもそんな感覚の時があったであろう!「その時」をイメージすればす
ぐにタイムスリップするはずだ。

そういえば、心は時空を超越できたのだ。

占い一言居士:
相性というのは不思議なもので、いつも変化するのだ。今はいいと思っ
ても明日はわからないのが相性だ。しかし、その中にも変わらないもの
がある。それをつかめば、変わる相性を楽しむことができる。

20年かかってつかむのか?それとも一瞬でつかむのかは自分次第であ
る。占いは、そういう「一瞬をつかむ為の道具である」と思うべきだ。

07年11月28日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-おのが分を知りて、及ばざる時は、速やかに止むを智というべし。
---吉田兼好(随筆家・歌人)---

「分を知る」ということで頭に浮かぶのは、「分をわかる頃には、もう
過ぎてるかな?」ということだ。それに、若い人が「分を知っていたら
気持ち悪い」という感覚が来る。

大体自分が若いときに「分を知っていたか」というと、「分」どころか
職務分掌といわれて、「それ何?」というレベルだから知れている。
それに、若いときは無鉄砲がいいのだ。大人の「分」という常識にはま
って欲しくはない。そんな人は役に立たないと思っている。

吉田兼好自身北面の武士として、その名誉ある立場にいながら恋と歌を
求めて出家してしまったなかなか奔放な生き方をしたのである。だから、
分別などというのは小さな箱の中に閉じこめてしまう大人の策略なのだ。
その方が若者をコントロールできて便利だからだ。
そんなのは「速やかに止むべし」というわけだ。
おのが分を一度は越えてみるのもいい経験だ。

占い一言居士:
改名する人は本当に頭のいい人だ。どうしてかというと、自分という人
間の持っている仮想エネルギーから解放されるからだ。「平安美人は今
は不美人」ということを考えると、一度は自分を捨ててみると本当の自
分がよくわかるというものだ。
そういう改名は、今まで不可能だった「自分の想い込み」からの解放と
なる。

07年11月26日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-至上の処世術は、妥協することなく、適応することである。
---ジンメル(ドイツの哲学者)---

妥協というのは、話し合いの産物。適応というのは自分自らの変革。
そんな風にとらえてみれば、企業の経営革新というのは、適応なのだろ
うと思う。

結局適応ができなくなると、どこかで妥協をしてしまって、自分のアイ
デンティティを失うということか?
妥協の一番怖いのは、自分の事業価値・自分のミッションを失ってしま
うことなのかも知れない。
人間でいえば個性や人間性喪失ということになるのだろう!

それを間違って「大人になったね!」なんていうのだが、とんでもない。

でもね!自分の人生を振り返ってみても妥協が多いのも事実。
時にはカメレオンみたいに擬態や補色で適応できればいいなと思ったり
することもある。

占い一言居士:
命名というのは、ちょっと考えてみると実は事業計画書みたいなものだ
ね!
それも成功するだろうという「絶対的な信仰」が親の方にはある。

それは、愛情という自分の持つ核心持っているということなのだが、愛
情という塊みたいなものはあっても、それを見える形にするのはちょっ
とばかし研究がいるかも?

07年11月25日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-1日生きることは、1歩進むことでありたい。
---湯川秀樹(理論物理学者)---

1日生きることが1歩の前進であるなら、365日で365歩の前進が
あるはずだがそんなに前進すれば、困るのは自分ではないかと思う。実
は前進して欲しくないのだ。僕の気持ちにはこのままであって欲しいと
いうものが沢山ある。そういうものを持ちつつどこかでちょっとは前進
して欲しいものもあるということだ。

ずぼらなのであまり一生懸命にはやりたくない。人間は大体そんなもの
だと思っているので、熱を入れることには不賛成だ。我が家のお上は口
癖のようにいう言葉がある。

何でも「チョチョイノチョイ」なのである。
これができることは天才的な能力と、内心尊敬しているのである。
僕には到底まねのできないいい加減差なのだ。ところがそのいい加減さ
が最後に帳尻を合わせてくるから、これはもう本人の「能力」以外なに
ものでもないと思う。

「チョチョイノチョイ」精神に乾杯!


占い一言居士:
世の中占いが何と多いことか!サイトの数だけでもビックリするくらい
の数がある。それだけ占いに関心が高いということでもあるが、実はそ
れだけ内容的に薄まってしまっているということもある。

でも、「ちょっとだけ」という何とも”くすぐったい心”が人にはある
ものだ。
そんなことが満たされるだけでも占いはいいではないでしょうかね。

07年11月21日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-汝、外に尋ぬることなかれ。ただ内に一を守れ。
---天台智顗(中国の僧・天台大師)---

自分らしさや、自分が自分であるということを守るというのは難しいも
のかも知れないが、それは個人であることの生命線なのだろうと思う。
それでは、自分とは何か?などといいはじめると哲学になって、終いに
は「人間はどこから来てどこへ行くのか?」などと、自家撞着に陥りそ
うな話になってしまうから、そういうことはやめた方がいい。

ただいえることは、特に日本人にいえることではないかと思うが、いつ
も人の目ばかり気にして生きているところがある。それも、長い間狭い
国土で収穫を上げることばかり考えてきたから、それに、農業自体が集
団で行う集約的な稲作農業だから、互いにチームワークだけが最優先さ
れるような環境で生きてきたことが、人の目を気にするという基本的な
日本人スタイルに結びついたのではないかと思う。

アシジの聖フランチェスコの祈り「主よ、わたしをあなたの平和の器と
してください。憎しみ合うところに愛を いさかいのあるところにゆる
しを 疑いあるところに信仰を 絶望あるところに希望を 悲しみある
ところに喜びを 闇のおおうところに光を もたらす者にして下さい。」
西洋の文化と、日本の文化の違いがよくわかるのではないかと思う。片
や神の眼を気にして生きる文化があり、片や人の目を気にして生きる文
化がありと、両極をなしている。それでも効果という面からすると同じ
ような効果があったのではないかと思う。しかし、自分を発見できたか
というと、それは個人差があるとしかいえないと思う。

いずれにしても、自分を見つめるということの難しさがそこにはある。
神を見つめ続けてその為に人間軽視になりがちであり、その反動が文芸
復興につながったのではないか?人の目を気にするあまり、人に嫌気が
して出家をする。そこで自己との戦いに気がつくということもある。洋
の東西、形は違っても行きつくところは自分発見である。その表現方法
の違いが文化の違いとなってあらわれたに過ぎないと思う。自分を見つ
めようとしたときに、その最も優れた方法は、やっぱり座禅か瞑想とい
うことになる。内なる心に五官を集中し、六官を啓発する。そのことが
新しい自分にアプローチする最も近道なのかも知れない。

占い一言居士:
相性は自分を知ることでもある。逆縁の仏ということばがある。相手に
よって自分の仏性が啓発されるのだ。それを啓発させてくれた相手は、
いい人ではないことが多い。だからこそ自分の心が刺激を受けるのだ。
相性というのはそういう面からも人と自分を知るための最小限のデータ
を提供してくれるということがいえる。

07年11月19日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-自分の前に敵がいっぱい現れたときは振り返ってみよ。
味方がいっぱいいるものだ。
---生田長江(文芸評論家)---

人生には敵もいれば味方もいる。そうはわかっていてもついつい敵も見
方もわからないまま過ごしてしまうことが多いのが普通の生き方だ。し
かし、ビジネスの最前線で戦っている人には、「内憂外患」というよう
に、内にも外にも敵がいっぱいいるのだ。だから、気が許せないという
生活を送っている。そこにストレスや落とし穴が待っている。

だから一生懸命味方をつくろうとけなげな努力をしている人もいる。そ
の反対にそんなことをすれば敵を増やすだけなのにという生き方をして
いる人もいる。まあそういう生き方も人生の選択肢の一つなのだが、損
だなあとは思うが性分だからと回りはあきらめていることになる。ただ、
敵だ味方だと仕分けをして生きている人というのは、普通はいない。大
体がみんな信じて生きている。それが人間の常ではないかと思う。そこ
に裏切られたとか様々な人間模様が描かれることになる。

人間って変なもので、敵が現れると敵のことばかり考えてしまうのだ。
反対勢力は自分にとって癌のようなものばかりだから何とかして取り除
こうと躍起なのはわかる。しかし、そうこうしているうちにいつの間に
か自分も反対勢力の影響を受けて本来の自分のミッションを忘れてしま
うことが多い。だから、自分を応援してくれる少数でもその方の意見に
自分の意識を集中できるようにすることが大切だ。そうすれば自ずと道
が開かれる。

権謀術数が渦巻く世界で、誰が敵で誰が味方なのか?そこら辺をしっか
りと見極める目利きも必要だ。裏切りが常にあるのは当たり前と思って
いい。そんな人間社会だが、利害だけで生きているようで、最後に人が
必要なのは何だろうか?敵が自分を育ててくれるということもある。上
杉謙信と武田信玄がそのいい例だ。信玄は亡くなるときに、いざという
ときには上杉謙信を頼れと言い残している。死力を尽くして戦ってみた
ときに本当の相手の真実が見えるということなのだろうと思う。人間は
敵も味方もいるけれど、結局は最後は本当に信じられる人間を捜してい
るということになる。だから、残ることばは「信」である。

占い一言居士:
改名する勇気もなければ、人生は転換できないだろう!自分を変えると
いうのは、今までの自分の習慣性を断ち切るということなのだ。そうい
うことは、一度自分を墓場に入れてみなければできない。もう一度生ま
れ変わって自分を造ることができる。そういう作業を象徴的に行うのが
改名なのだ。だから、何もしないで変わればいいなと考えている人は、
「棚からぼた餅」をただ手をこまねいて待ち続ける人ということになる。

07年11月18日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-旅に出る、着物の用意をしろ。
---山本玄峰(臨済宗妙心寺派の管長)---

人生を旅にたとえるのは、旅というものが何なのかをよく知っているか
らだろう!といって、僕が旅慣れしているわけではない。ほとんど旅に
出られないような生活を送っている。口能登(能登半島の入り口付近を
いう)に住んでいながら能登のことはほとんどわかっていないといって
よい。僕は金沢よりも能登の方が奥深さがあるのではないかと勝手に思
っている。だから、何時か能登をもっと研究してみたいという願望があ
る。

なかなか旅に出られないから、旅にはあこがれがある。そういうところ
から、西村京太郎の小説は好きである。もっと好きなのは内田康夫であ
る。でも最近はこれを封印している。読み出すと、何もかもほっぽり出
してしまうからである。困った性格であるがしょうがないとあきらめて
いる。旅の中でしか見つからないものが沢山あるからこそ、旅にあこが
れを抱くのであろうが、だからこそ旅を安易に出かけられないというこ
とでもある。基本的な知識を収集してからでないと旅に失礼と思ってし
まうのだ。

旅というのは江戸時代の人もあこがれであった。しかし、封建社会では
簡単に旅はできない。そこで信仰ということでは旅は許された。お伊勢
参りが流行ったのもそういうことだ。西洋では主に旅は伝道であった。
「第一ペテロ2/11: 愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたが
たは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ
肉の欲を避けなさい。 」「ヘブル13: これらの人はみな、信仰をいだ
いて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望
み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言
いあらわした。」 インドで釈尊は伝道の途中で入滅された。その時の
釈尊のことばが「自灯明、法灯明」であった。

旅にはいつでも自分を発見するという意味が隠されている。同時に旅は
文化や経済の伝道でもある。そういう意味で、江戸時代の参勤交代も大
がかりな旅だ。だから旅にはロマンがある。知られざる自分へのロマン
だ。歴史や地域の風土、人情にふれるということが自分を見つめ直すと
いうことにつながる。そこまでして自分を知りたいというのは、人間の
業なのかも知れない。先祖の神を求めて、はるかなる伝道の旅、それが
旅の本質なのかも知れない。人生の旅は釈尊がいうように「自灯明、法
灯明」なのだろう。

占い一言居士:
命名の本質は、一言で言えば個性の抽出ということなのだろう!「人と
違う何か、人の持っていない自分の世界」そういうものをつくらせてあ
げたい。それが人の持つ願望である。「ちがい」を見つけてこそ、自分
の存在価値を見いだすからだ。だから命名はそういう材料を調えるとい
うことになる。しかし、もっと大切なことは、命名に預けられた個性を
どうやって引き出すかという親の引導である。

07年11月14日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-悪事を己に向かえ、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。
---最澄(天台宗の開祖)---

理想というのは絵に描いた餅のようなものかも知れない。しかし、こう
いう絵に描いた餅のようなことを真剣になってやろうとする人が現れな
い限り世の中はよくならない。みんながみんな現実ばかり相手にするよ
うでは、この世の中が無味乾燥になってしまうではないか?最澄くらい
の人であれば、宗教でも政治という生臭い世界と切り離せないことくら
いは当に知っていることだ。それでも、理想を説くというのは、その価
値を誰よりも知っているからに違いない。

ヨーロッパキリスト教社会でも、プロテスタントが現れるまでの教会の
混乱は、アシジの聖フランシスコのように小さな修道会がいっぱい現れ
た時代であった。皆現実の醜い戦いに疲れ果て、心の清貧を求めていた
時代でもあった。人はいつでもそうだが、精神と肉体の分裂に心を悩ま
すのが常である。だからこそ、現実を生きる人と、理想に生きる人とい
う極端な人種が出てくることになる。そういうバランスはとれないもの
だろうか?精神と肉体のバランスは永遠の課題なのかも知れない。

「露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことは夢のまた夢」有名な豊
臣秀吉の辞世の句である。辞世の句ではないが、織田信長の生き様を表
したのは、「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」
で、徳川家康は「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」など、
人生のはかなさを詠んだものと思われる。こんな戦国時代の乱世だから
こそ人は精一杯生きたといえる。そこに小さくても理想を実現しようと
したからこそ、「浮世の夢」なのかも知れない。厭離穢土欣求浄土は、
そういえば徳川家康の本陣にたてられている悲願の旗でもあった。

学生運動で、政治に燃えた時代があった。イデオロギーに一生懸命であ
った時代があった。そんな時代を今の人たちは「青臭い」と一蹴しそう
であるが、そういう青臭い時代がない人はかわいそうなのだ。最初から
精神と肉体の矛盾を見つめられない世界に陥っている。それこそ堕落だ。
善を求めれば悪に通ずるものがある。右を求めれば左がわかるし、左を
希求すれば右の価値もわかる。高き精神を求めれば肉体とのギャップに
悩むのが正常なのだ。それがない人が多くなっているということほうが
世の中が危険になっているということだ。だから今理解されなくてもい
いから理想を叫ぶ人が出て来る必要がある。たぶん歴史はそれを求めて
いるに違いない。

占い一言居士:
占いで必要なものは何かというと、人を占うというよりは、人の成長を
助けてあげるという観点が必要なのだ。占うというのは人の運命を裁く
ことではない。そんな運命の裁きは神様以外に権限はないはずだ。人の
心の方向性を一緒になって見つけてあげるという為に、占うということ
がある。

07年11月10日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-負けてのく人をよわしとおもうなよ 知恵の力の強きゆえなり。
---高杉晋作(幕末の志士)---

「狼は生きろ、豚は死ね」こんなことばが流行った時代があった。実際
に資本主義社会で生き残るためには狼にならなければ生き残れないの
だろうか?このことばには、どうも抵抗がある。心に引っかかるのだ。何
が引っかかるかというと、ようするに強い者だけが生き残ることができ
るのが真実かという疑問なのである。普通は強い者が生き残ると思うだ
ろう!

考えてみれば歴史上の恐ろしい動物の類は大体が滅んでしまっている。
恐竜だって突然に絶滅してしまっているではないか?生物の世界では弱
いものが滅んでいるかというと、反対に強い者が滅んで、弱いものが時
間をかけて生き残ってきたのである。昆虫だって出現したのは3億年前
らしい。ゴキブリもこの頃から生きているという。現代人と関係のある
クロマニヨン人が出現したのも5万年ほど前である。地球の歴史45億
年と考えると、わずかの歴史である。それでも、弱いはずの人類が繁栄
して、強いと思っていたものは実は滅びの道をたどったという皮肉が歴
史にはある。

「豚は生きて狼は死ぬ」ということになる。実際に日本狼は絶滅してし
まっている。豚は私たち人類の食卓を賑わしてくれるなくてはならない
食材になっている。うさぎの長い耳は何のためにあるのだろう?生き残
るためである。狼の牙は何のためであろう!弱いものを食うためである。
強いものは弱いものがいなければ生きていくことはできないのである。
しかし、弱いものは強い者がいなくても生きていくことはできるのであ
る。みんながうさぎの耳を持てば、強い者から姿を隠すことができるの
である。すると、狼は生きていくことができなくなってしまう。

日頃威張っている男共は年をとって定年にでもなれば惨めなものだ。今
まで女なんてと下に見ていたのに、いつの間にやら自分では何もできな
くなってしまっているのだ。挙げ句の果てには愛想を尽かされて、逆三
行半なんてことだってある。強き者なんていうのは、結局は弱き者に依
存して威張っているだけなのである。井戸端会議を馬鹿にしてはならな
い。最近ではインターネットが井戸端会議の役割を持っている。うさぎ
の耳を持った女性はたくましく生き残り、男に残されたのは孤独という
友達なのだけかも知れない。そろそろ「狼も豚と共に生きることを選択
しなければならない」そういう時がきている。

占い一言居士:
相性占いは相性を占うものだけではない。実は「生き方占い」でもある。
どのように相手とつきあい、どのように自分は身の程来し方をすればい
いのかということだから、それは自分の生き方になるのである。でもそ
れは、ちょうど処方箋を与えているようなものだから、本当はその人の
生きるということの哲学がなければならない。それがないから自分を創
れないできてしまったのだ。

 

天使の占い・遠山球希

天使の占い(陽陰姓名術協会)について

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