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格言日記61

日記風の格言

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09年3月31日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-いかに咲くとも二十日草、盛りも日数のあるなれば、花の命も限り有り。
---曾我物語(鎌倉時代の仇討ち軍記物)---

まあどんなに強大な勢力を誇り、これを覆すことが不可能なように思わ
れる組織や個人に対しても、いつか終わりが来るというわけである。こ
んなくだりは平家物語と通じるところもあるように思ったりする。「お
ごる平家久しからず」同じように源氏も直系は3代で滅んでしまった。
時の流れは無常である。だからこそ今不遇のように思われてもチャンス
はあるということである。牡丹が好きだった則天武后の中国の時代も同
じようなことがいえる。

無常というチャンスを信じることができるかどうかということである。
日本は「水に流す」という潔い国柄である。ところが世界はそうでもな
いらしい。人種が違ったり血統が違ったりするだけで争いの種となる。
何代も前の先祖の恨み辛みを子孫が受け継ぎ、時きたらばその恨みを晴
らすなんていう話はいっぱいある。だから、自分たちの先祖の話は真剣
だ。その時に生き残る努力をしたことが結果的には多くの禍根を残して
いることもある。だから、その恨みを先祖から引き継いでいる多くの子
孫がいるということだ。例えばイスラエルとアラブの問題も4000年
前の家庭問題が発端である。共通の先祖であるアブラハムの家庭での諍
いの恨みが今のパレスチナ問題の血脈には流れているということだ。

二十日草は牡丹の別名である。それ以外に、「富貴草」「富貴花」「百
花王」「花王」「花神」「花中の王」「百花の王」「天香国色」 「深
見草」等がある。元は薬草として使われていたのだが、中国の則天武后
が愛でた花として中国の国花にもなっていた。武則天が中国史上初めて
女性として皇帝の地位に就いた。日本との関わりでは百済の要請を受け
て白村江の戦いで戦ったのは、新羅と結託した則天武后の中国軍である。
この制海権をかけた戦いは日本の負けになり、結果的に百済は滅びの道
を行かざるを得なくなってしまった。ここで日本は朝鮮半島における足
がかりを失ってしまうことになる。

とにかくどんなに強大な勢力を持っていようと、それが独裁的であれば
あるほど落日は哀れということになるのが世の倣いである。権力という
のはいつもそういうむなしさを抱えているのは宿命なのか?色鮮やかな
派手さを持ちながらこの世の春を謳歌していてもその花の時が終われば
それなりの実を結ばざるを得なくなるということだ。花は実のためにあ
るということをいつの間にか忘れてしまうのが人の愚かさといえよう!
牡丹の花を見るたびに栄華と権力の継承の難しさを感じてしまう。それ
と同時に花が枯れることで多くの人にチャンスをもたらすということも
一理あるのだ。しかし、「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は則天武后」で
は洒落にもならない。こんな女性はまっぴらゴメンということだ。

09年3月19日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-出来ぬと思えば出来ず、出来ると思えば出来ることが随分ある。
---三宅雪嶺(評論家)---

人間というのは、ずいぶんと勝手なもので自分で自分を規定してしまっ
ていることが沢山ある。だから限界というのは実は自分で決めてしまっ
ているのだ。などとよく偉い人や先輩から説教される。そういわれると、
実は心の中で「貴方はどうですか?」と問い返している自分がいつもあ
る。大体人間は自分で自分を決めてしまっているにもかかわらず、人に
規定されるのはもっと嫌なものに違いない。自分がそうだからだ。

ところがこの規定するというのは、面白いことである一定の基準を示す
ものともいえる。だから、そういう基準が示されるとその基準を何とか
越えようとかクリヤしようとかという心理が働く。高校時代の校則に対
して反発する真理というのはその裏返しだ。校則という基準が示された
ので、それを何とかして乗り越えようとする方向性がマイナスに働いた
格好が、校則違反の服装となって、反発してみせることになる。だから、
心の動き方としてはそうならざるを得ない。その辺を大人は理解してい
ない。

江戸時代を見てみると、いろいろなことが市井に生きる人にとっては規
制だらけであった。今でこそ歌舞伎の女形が当たり前なのであるが、
「江戸時代には幕府によって女優を使うことが禁じられていました。だ
から男が女の成りをしてその代用をするしか方法がなかったわけで、女
形は仕方ない存在であったのです」これは、規制が新しい生き方や伝統
を生むことになったということである。規制があったからこそ生まれた
文化も沢山ある。それが江戸の町民文化として今も現代に受け継がれて
いる。

「シジャギーパニダ」韓国語のことわざで、「はじめが半分」という意
味である。ものごとはやり始めたら半分できたも同然という意味である。
物事を出来ないと思って始めるのと既に出来たと思って始めるのでは、
その効果が全く違うと言うことなのである。あらゆる社会の規制を規制
としてとらえてしまうのか、それとも越えるべき一つの基準値としてと
らえるのかで人の生き方は全く違ってしまいます。実は封建社会という
身分の規制された社会だったからこそ、その規制をバネにして新しい文
化を創ってきたといえるのが日本である。だから規制をガイドラインに
してしまえばいいのだ。

09年3月5日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-理屈では人の心は掴めない。
---童門冬二(作家)---

人たらしの天才といわれた秀吉は、どんな手を使って人の心に入ってい
ったのだろうか?ふと考えてしまう。というのはこの世はその人間関係
で悩む人が多いからだ。人間というのは難しいものだと思えば、何事も
難しくなる。簡単と思えば簡単になる。想い方次第といえる。でも本当
か?とまた疑問符が頭に浮かぶことになる。人の心の動きを知るという
ことは、そこに住む人々の風土を知らなければならない。だから、先ず
行かねばならないところは神社やお寺である。

何故ならば、宗教というのは人の精神的な日常活動の土台になっている
からである。そこで宮司さんや住職というのはその土地の象徴的な存在
ということになる。宗教文化圏という言葉がある。文化圏というのはた
だの文化ではなく背景には根強い宗教との関わりがある。だから宗教の
あり方を学ばない限り人々の心を理解したとはいえないのである。外国
へ行くと、驚くときは「オーマイゴッド!」というらしい。簡単にいえ
ば「神様!」と叫んだということになる。日本では、「苦しいときの神
頼み」「天地神明に誓って!」などということになるから、神様仏様と
いうのはいつでもお願いするものということになっている。

人は感動したいと思っている。ただ感動になかなか出会わないだけであ
る。どうしたら感動できるのだろうか?などと考えて感動というのはす
るものでもない。わかりやすくいうとどうしてデズニーランドはみんな
が何度でも行きたくなるのかということである。そこに秘密がある?秘
密でもないけど、デズニーランドの理念が素晴らしいからだ。その理念
を実践しているにすぎない。でも人は、結果的にデズニーランドに行く
とまた行きたくなるのだ。そこまでやるか?というくらいに徹底してい
る。エンタティナーとして従業員(キャスター)も1年ごとに試験があ
るらしい。そのディズニーのコンセプトは「ディズニーが売っているの
は夢である」ということだ。そこに集約されている。

秀吉もよく感動した。その秀吉は何故織田軍団の中で出世することがで
きたのでしょうか?もともと武門の出でもなく武芸に優れていたかとい
うとそうでもなく、いったい秀吉の強みというのは何であったのかとい
うことです。秀吉には何もありませんでした。でも彼にあった戦略は
「戦わずして勝つ」という孫子の兵法の基本戦略です。武芸がダメなの
ですから、後は調略しかありません。だからそこに特化して徹底的に知
恵と情報を磨いて調略を研究したのです。その基本は何かというと「相
手の話を誠実に聞く。ちゃんと気遣いを怠らない。」「どんな相手にも
柔軟に対応する知恵」「自分を支える郎党や仲間」一見誰にでも備わっ
ていそうな要素を徹底したということでしょうか!人の心に必要なのは
「うさぎの耳戦略」ということに尽きるようです。

09年3月2日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-神よ、頭のよい人達というのは何と愚かなのでしょう!
---ジャン・ジュベール(フランスの作家)---

こういう格言は勇気づけられる。何故かというと、自分が頭がいいとは
思っていないからだ。やっぱりそうか!でもね!頭のよい人達が愚かで
あるならば、頭の悪い人達は愚かを通り越して「どうしようもない?」
何て考えてしまうと、また落ち込むことになる。こういうのは大体学生
時代に培われてしまうことが多い。試験ばかり繰り返していくと、どう
いうわけかできる奴はできるし、できない奴は本人なりに努力している
のにやっぱりできないということになる。

すると、できないという事実ばかり突きつけられるから、自分ができる
ことがどんどん狭められてしまいにはなくなってしまったかのように思
い込み、ついには「私はダメだ」などと結論を出してしまいかねないこ
とになる。よく考えてみれば、それは学校という限られた範囲で、決め
られた教科書があってそれに沿った回答を出したものだけが正解という
ことになっている。果たして人生は全般にそうだろうか?ということで
ある。人生に正解はないといった方がいい。どれも正解なのだ。どれも
誤りなのだ。どちらも真実と言える。

バーナード・ショーはどんなことをいっているかというと「人間が賢く
なるのは、経験によるのではなく、経験に対処する能力に応じてである」
ということだ。これが学ぶということなのだ。すると、学校の勉強は何
なのか?ということになるのだが、それも学校という特殊な分野の経験
に対する処理を勉強したにすぎない。もし学校で優秀でなければ人生に
成功しないということであれば、発明王エジソンは誕生しなかったに違
いない。だから人間は皆何かの天才であるといえる。それを発見できて
いるかどうかということになる。経験を学ぶのではなく、経験の対処の
結果その先に何がおきたのかということを学ばなければならないという
ことだ。

バイブルには愚かな者について次のように書かれている。
ヨブ 11:12 生まれたときには人間も/ろばの子のようなものだ。しか
し、愚かな者も賢くなれる。
1第1コリント 3:18 だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたが
たのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当
に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。
第1コリント 1:20 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。こ
の世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではない
か。
イザヤ 5:21 災いだ、自分の目には知者であり/うぬぼれて、賢いと思
う者は。
ルカ 10:21 そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。
「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵
ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そ
うです、父よ、これは御心に適うことでした。

09年2月25日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-人の善し悪しを知らんと思わば、その愛し用いらるる臣下、または親しみを交わる
友達を持って知るといえり。
---沢庵(江戸初期の臨済宗の僧)---

沢庵和尚は俗に知られているような漬け物の沢庵を開発した和尚ではな
い。開発したというよりは伝えたといった方がいいかもしれない。それ
に宮本武蔵とは小説上のフィクションでありどうも関係はなさそうだ。
沢庵といえば江戸幕府創立初期に「紫衣着用事件」で有名になった。こ
れは禁中並びに公家書法度に触れるところとなり、紫衣剥奪の事件とな
った。これに反対して沢庵は流罪となった。そこでの有名な言葉がある。
「心さえ潔白であれば身の苦しみなど何ともない」というものである。
これなどは有言実行が難しいものだ。この一言から見ても沢庵は並の人
物ではなかったといえる。

有言実行というのはどうも日本人には慣れていないような気がする。ど
ちらかというと不言実行というのがあっている。言行一致ということは、
いつの時代でも実現する人はすごい人といえる。人の評価は、その時だ
けのようなときもあるが、時間を経て人を見ているということもいえる。
そういう意味では自分を偽るとそれだけで歴史と時間を損したようなも
のかも知れないということになる。ちなみに有言実行などという言葉は
本来はない。陽明学の「知行合一」がこれに近いかも知れない。

沢庵は紫衣事件のあと、大赦令で許されたが江戸のとどまることを徳川
家光から要請されて帰ることはできなかった。それは、彼が優れた名僧
であったこともそうだが、この後水尾天皇からの紫衣下賜の事件がどれ
ほど大きな影響力を持っていたかが推察される。そのまま京へ帰ればそ
のまま反幕府勢力の中心になるのは必至であったはずである。だからこ
そ幕府は沢庵を懐柔しようとしたのに違いない。沢庵も一枚上手である。
そんな政治状況をしっかりと見抜きながら、家光の政治の相談に乗った
のである。そして沢庵はその地位を揺るぎのないものにして、時を経る
と紫衣事件に連座したものは許されて、紫衣も着用を許されたのである。
この戦いは沢庵が勝ち名乗りを上げたといってもいいことになる。

時代は流れている。その流れの中に生きているのであるから、それを知
るというのも必要なことである。また政治の世界は離合集散といわれる。
時の経済状況も同じだ。その時々の状況によって組む徒党が違うのであ
る。当然のことである。しかし人にとって大切なことは「変わらない」
ということである。そういう人間のつながりが世の中を動かすというの
である。明治維新の時もそうであるが、やっぱり人の関係が事情圏や人
情を一致させてエネルギーとなった。そういう演出ができたのは坂本龍
馬など維新の志士だ。そして、そういう子を産んだのは教育の親・吉田
松陰でもある。古いことわざ?にある。「実を見れば木がわかる」とい
うことだ。「その愛し用いらるる臣下、または親しみを交わる友達を持
って知る」まさに結果は原因に起因するということだ。

09年2月12日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-バカな生き方の方がずっと素敵。
---唯川恵(作家)---

昔は専門バカといって、人からからかわれることもあった。職人さん達
の世界だ。一つことしかできないと見られたからだ。今時代は変わって
専門バカなんて言葉はどこかへ行ってしまった。変わりに「一芸に秀で
る」ということになってしまった。人間の価値観なんてそんなものだ。
人が勝手に価値を決めているだけでそれは自分の価値ではないのである。
考えてみれば人の価値で自分を評価するほど愚かなことはない。

別に職人といわれる世界だけではない。営業でも立派に職人だ。話術や
人間関係も技術だからだ。ソフトとハードという違いだけだ。芸文にい
っている息子にに職人と芸術家の違いって何だと聞いたところ、自己の
創造性が賦与される度合いの違いだけであるということだ。だから、職
人さんも創意と工夫がなされていれば立派なアーティストになる。そう
考えれば、日本は江戸の昔からアーティストの集まりということがいえ
る。宮大工の頭領などは、まさにアーティストである。そんな芸術作品
が国宝や重文になっているはずだ。

考えてみれば人生なんてわからないということの方が当たっているかも
知れない。「一寸先は闇」ではなくて「一寸先は光」ということである。
でもそれらは自分がいつでも原因をつくっているというのも事実だ。だ
から、人ではない。そんな職人技術が日本の今の産業の基礎になってい
る。これがなければ新幹線も走らないし、宇宙ロケットも飛ばないので
ある。昔から養われてきた一途な世界は今でも光っている。日本の産業
はそういう世界だ。損得を考える商人の商人道も販売の職人だ。「先生
といわれるほどのバカじゃなし」何ていうのは、大変に失礼な話に今は
なっている。先生ほど重労働を強いられる「教える」職人はいない。

成功している人がどんな人かということである。八方美人という言葉も
ある。最近はマルチ人間などといって、またはタレントといわれるよう
に多彩な人がもてはやされるということがある。でもそういう人は果た
して成功を修めたといえるでしょうか?テレビでは頭がたらないように
装うおバカタレントがもてはやされたりしている。そういうことと成功
はどうも違うような気がする。古いと思われてもしょうがないが、成功
はやっぱり何かを成し遂げた人ということになる。そういう人の特徴は
やっぱり「一途!」ということだ。綾小路きみまろさん!中高年毒舌ギ
ャグに一途である。自分の世界を築くためのバカ一途さに乾杯。

09年2月11日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-夢は夢、まぼろしはまぼろしでさ、しっかり目に残しとけばいいんだよ。
---村松友視(作家)---

今日は紀元節である。夢の如く時代は過ぎ去っていく。何事も始まりが
あれば終わりがあるというのが世の習いである。こういう時間の考えが
しっかりしているのが西洋である。いつも世の中が乱れてくると、終末
という考えが台頭してくる。聖書には天と地が崩れ新しい天と地が出現
するなどと書かれている。仏教では特に日本では末法思想がさかんに唱
えられた。平安時代、鎌倉時代などはこの末法思想を背景に救いを求め
て様々な開祖が現れた。時代の終わりを告げながら時代の始まりを模索
したというわけだ。

空海は弥勒の代をこの現世に実現しようとした。仏国土の再現である。
その為には救いをこの地上に現実的にもたらせなければならない。それ
が現世利益と生きて成仏するということになる。だからこそ、空海は入
滅した後も弥勒が来る前に弥勒を迎えるために皆と一緒に準備をしてく
れるという考えが浸透した。これが同行二人として四国巡礼となる。発
心、修行、菩薩、涅槃というわけだ。

時代は変わり、人々は物質文明の中に浸りきって当たり前だと思ってい
る。しかし、だから精神文明の時代がやってくる。誰しもがそんな幻想
を持っている。そうではないはずだ。物質文明の基礎は大きな発展を続
けるだろうし、その上での精神文明という考えの方が現実的だ。肉体の
土台があって精神が健全に宿るのと同じようなものだ。肉体の文明だけ
でも精神の文明だけでも片手落ちになる。両方のバランスを保つことが
できるかどうかになる。振り子ではいけないのだ。ヨーロッパ文明はそ
ういう極端なふれ方をしてきた。だからこそ東洋が今は注目をされてい
るといえる。それは、自然との調和をめざしてきたからだ。

夢紀年!年頭の書き初めにそう書いた。今年は始まりの年にするぞとい
うことだ。何が始まりなのかということである。天地の創造は聖書には
7日間かかったと書いてある。理想の実現にはある段階が必要であるこ
とを物語っている。ものの始まりには時間という概念はどうしても必要
になる。だからこの1年は始まりの1年になるということだ。日本の国
生み神話もいろいろな段階を経て行われた。始まりは終わりを預言して
いる。どんな始まり方をしたかが次を決めてしまうということだ。いい
はじまり物語は結局バランスをしっかりと取っているということだ。バ
ランスというのは、結局相対的な関係が存在していることを意味してい
るから、互いに相手を見ていないとバランスがとれないことになる。今
日は紀元節、建国記念の日である。だから、自分の夢を建てる日として
出発してもいいではないか?この日ばかりは、神社に行って建武の親政
ならず、建夢の申請を自分の神様にするのも粋である。

09年2月1日
赤ちゃんの名前・改名・相性占い・姓名判断は名前鑑定の「天使の占い」。 遠山快空の
日頃の思うままを格言に託して、風のようにひょうひょうと、ちょっと為になる格言日記になれば・・・。

格言-大病を患う。浪人をする。臭い飯を食う。これが成功の条件だ。
---松永安左衛門(松永安左エ門)(実業家)---

挫折という言葉は、周囲の人がそう思っているだけである。当の本人は
挫折などとはことさら思っていない。それが事業をやっている人間の心
意気なのかも知れない。そうでなければ、仕事なんてできないというこ
とだろう!すべての出来事は一つの過程にすぎない。その過程の出来事
でいろいろといってもしょうがないというのが本当だ。成功をするとい
うのも同じで、本人はそれで満足しているわけではなく、回りで成功し
ているといっているにすぎない。何故かというと成功というのは、自分
で成功と思わなければ成功ではないのだから!

何が成功かというのは、人それぞれなのだから、誰かがこれが成功とい
うのはないはずだ。成功というのは、ちょうど幸福論と同じで全くとら
えようもないものになる。ただ、一般的には金持ちになると人はそれを
成功ととらえる。確かに金を持てば、何でもできるような気になる。そ
の一方でやっかみからか金を儲けるということを卑しいようにいう人も
事実だ。でも、金持ち父さん・貧乏父さんの著者ロバートキヨサキがい
っている。「この世にはお金よりももっと大切なものがいっぱいある。
しかし、お金はその大切なものすべてに関わりを持っている」だから、
お金はその大切なもののために必要だということになる。

官僚のトップになるにはジンクスがあるという。そんな話を確か新聞で
読んだことがある。それは必ず一度は冷や飯を食う次期があるというこ
とだそうだ。ある人は大病を患って1年間闘病生活を余儀なくされ、あ
る人は干された時期があり、ある人はいじめられた時期がありというわ
けで、なにがしか自分を省みる時を与えられているというわけだ。そう
いうときというのはとても重要だ。その時をどう過ごすかで運命の神は
微笑むかどうかの分かれ道になる。幕末の維新大回転をやってのけた勝
海舟は、やっぱり干されたときに一生懸命研鑽を積んだのだ。そういう
時は肥やしの時なのだろうと思う。それがないと自分が大きくならない
からだ。

この格言の主である松永安左ェ門も臭い飯を食った1人である。電力の
鬼といわれた人であるが、その前の電気と電車事業では阪急電鉄の小林
一三との絡みで贈賄罪に問われたのである。彼は逮捕されてムショの飯
を食うハメになったのであるが、頑として口を割らなかったという。そ
の時のムショでの体験は、貴重であったと述懐している。その彼は順風
な歩みをしたわけではない。壱岐島の資産家の家に生まれた松永安左ェ
門は、慶應義塾に進み中退、三越、日銀から事業に乗り出し丸三商会、
福松商会と会社を興し、ついには石炭事業で失敗をして無一文になった。
この時に彼は、自分を見つめ直し、これからは金儲けではなく国家社会
に奉仕する生き方が必要と思いたったのである。そこから彼が電力の鬼
といわれるようになり、現代の日本の電力事業の基礎を築くまでになる
のである。成功者のメンタルは確かにあるのだ。


天使の占い・遠山球希

天使の占い(陽陰姓名術協会)について

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