科学や医学が発達すればするほど、外的な要因はどんどん取り除かれていく。残る問題は自分自身の内的な問題、即ち「自己管理」という問題になってくるのである。
アメリカでは、「肥満」は「自己管理」が出来ていないということになるので、決してリーダーにはなれないのだそうだ。我が国は、大黒様や布袋様のようなイメージがあるのか、肥満体で恰幅のいい人が「偉い人」みたいに歓迎する向きもあるが、実体は高血圧などで苦しんでいることが多いのではないだろうか?
21世紀に入って、人間社会は様々な抑制から解放されつつあるが、自分自身の解放は進んでいないのではないか?有史以来、科学技術の進歩はめざましいものがあるが、人間の心を中心とした文化圏の発展は、遅々として進んでいない。
人類史に大きな足跡を残した四大聖人達も、遡ること二千年から二千五百年前の人たちである。そろそろ、現代人も自分の良心にもっと忠実になるときが来たのかも知れない。
心の文化を引導する偉大な指導者が出てくればいいなあと思ったりするが、それも「他力本願!」と怒られるやも知れない!
結局「ガン」の問題が、食の自己管理ができていないところから来るように、様々な問題も、人間自身をわかっていないことから来ることがほとんどなのだ。外的な自由化が進み、規制がなくなってくると、同時に副作用もある。社会の規範という規制をしていたものまでゆるんでくるから、家庭という人間の最小の社会まで崩れてきている。父親が父親らしくなくなり、母親が途中から”女”を主張し始めたり、混乱している。それらは人間の愛情関係のゆがみから起こっている。具体的には親子関係や夫婦関係だ。これも規制が取り払われてきているから、昔のように女性が我慢すればいい!などということはなくなってきた。昔のように「男子厨房に入るべからず」などという考えはナンセンスそのものになっている。みんなが自分の心の位置を失いつつあるのだ。
だからこそ、自分の心の住みかを求めてぶつかり合い、確かめ合う作業が続いているのかも知れない。
阪神大震災は、最も大きな不幸な事件であったが、それによって人のつながりは密接になった。家庭内にも「事件」はあるのだ。小さな事件の積み重ねが家庭生活そのものだともいえよう!問題は、事件にたいする対応の仕方なのだ。これを間違ったまま放置すると、結局は家庭崩壊を招く元になるのだ。
これも「食の管理」ができずに「ガン」になるのとよく似ている。毎日の小さな欲望にとらわれて、その欲望に負けて、というよりはもっと大きな欲望を見