◆ 古代、実名は秘名で禁忌であった。(見ざる、聞かざる、言わざる)
こういう心理的な伝統は今も残っていて、実名は読みにくくしてカモフラージュすることが多い。
そういう伝統があるのか、現代でも戸籍に名前を登録するときには、人名漢字であれば、読み方はあまり問われないことになっている。
そこで字(あざな)が使われるようになった。この字の意味は、あざなえる名、交わる名、本名に交える名ということであって、人々と交流するときに使うと言うことである。
例えば、江戸時代の儒者 新井白石の本名は君美、字は済美という具合である。
ここで西郷隆盛の例を挙げてみよう!
明治5年に通称名、実名の併用を禁止する通達があった。西郷は東京では吉之助の通称を使っていた。国許では、実名で届けたかったのだが、その実名を誰も知らないのである。そこで友人が適当に隆盛にしたということなのである。
その後、実際は「隆永」が実名ということを知ったのである。
それで、お孫さんが記念の印ということで「隆永」と名告ったということである。
こういう伝統は家の中にも残っていて、家人を呼ぶときは名前を直接呼ぶことは少ない。「あなた」「主人」、仕事上では「社長」「〜(苗字)君」などということになる。
◆ 捨てる名前という命名
名前にわざわざ「捨」とか「棄」をつけたりする。豊臣秀吉の話は有名で、最初の子は「棄丸」と名付けたが、夭折してしまった。その次に生まれた子は、一旦捨ててそれを拾って「ひろい」とつけたのである。これなどは、悪魔に魅入られないように、死に神をだますということでつけるのである。
だから、名前には悪魔や鬼神も相当関心を持っていて、そういう名前の持つ何かにとりついて、悪事をはたらくことを暗示しているのである。
だから幼名にはわざと悪い名前をつけるということがあるのである。
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名前は、元々「御守り名」という発想があったのが古代からの伝統である。それほど名前は大きな意味を持っていたことになる。だから、命名するときにはその名前が悪魔や鬼神に魅入られないように、その名前の苗字とのバランスを考えて自分を守ることのできる名前でなければならない。
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