大学2年の秋、転機が訪れる。東京の日比谷野外音楽堂で演説予定者が登壇できなくなり、突然「代わりにお前が話せ」と言われた。「一瞬のうちに心の中で賭け事をやったんだ。ここでしゃべれなければ一生しゃべれないだろうし、しゃべれれば一人前の人間になれると」。そして壇上に立つと、幾らでもしゃべれた。物心ついて以来の吃音が、治ってしまった。
◆ 荒れ果てた青春時代
その後も起伏は収まらない。翌年には逮捕・拘置。11月に保釈され、左翼との決別も決心したが、待っていたのは貧困と飢えだった。結婚しても人生の目的を見いだせず、酒とバクチに費やす日々。連合赤軍事件で目の当たりにした左翼の末路に衝撃を受け、ようやく猛勉強。保守思想を身につけ始めて心の安定を見いだした時は、すでに30歳をだいぶ過ぎていた。
その後の人生については、こう語る。「東大を辞めるのなんて何でもなかった。妻のがんも来るものが来たというだけのこと。僕はあと、折れ線グラフが折れるように死ぬだけだよ」
(植田滋)
(2008年9月16日 読売新聞)
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● 激しい生き方の背景は・・・
自宅に火をつけたり、万引きしたり、けんか腰で勉強したり、事故をおこしたりなど波乱に満ちた生き方をした西部 邁さんは、どうしてそんな激しさを持っているのだろうか? どんな運命式の背景を持っているのか?それを知ってみましょう!
<西部 邁さんの運命式>
18 17 33
7 34 27
23 17 28
「冬になると木枯らしが吹いて気持ちが荒涼とする。にぎやかになると思って、自分の家に火を付けたんだ」
こういう動機で自宅に火をつけるというのは、どこから来るのかということである。
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