常安請地として中之島の開拓を手掛け、大阪大学医学部跡地の旧町名である常安町、常安橋に名を残している。大坂三郷(北組・南組・天満組)のうち北組の惣年寄を担った。
大坂の役においては徳川方を支持した。 大坂冬の陣では茶臼山と岡山の陣屋を徳川家康と徳川秀忠に提供し、徳川方の兵には食料も提供した。その功績が家康に認められ、褒美として山城国八幡の山林田地300石の土地を与えられ、名字帯刀が許された。
大坂夏の陣が終わった後には戦の後始末を願い出、亡くなった兵の供養と大量の武具を処分した事でも利益を得た。
★岡本与三郎の運命式
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●二代 淀屋言當
淀屋言當(よどやげんとう、ことまさ)1576年 - 1643年
弟、五郎右衛門の子(三代箇斎)を養子とする。 通称を三郎右衛門、名を言當、号を个庵とした。 なお二代、四代、五代の歴代当主も个庵を名乗ったので、二代を区別し特に玄个庵と呼ぶ。
十三人町の町年寄を務めた。
★岡本言當の運命式
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