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●-人生を変えた宣丞さんとの出会い!-
■私は京都の看護学校に入学しました。入学理由は簡単です。
英語の試験がなかったからです。今では考えられませんが・・・。
国語、数学、生物、社会、作文のみだったのです。
もちろん面接試験はあります。
私は当時英語が大の苦手でした。
ですから、全国で英語の試験のない学校を探したのです。
石川から一番近かったところでは京都だったのです。
それで京都にご縁があったのです。
● 看護婦としては劣等生
看護学校は、看護婦としての知識と技術を習得するものです。
でも私は技術的なことにはあまり関心がなかったのです。
今でも不思議ですが、もっと人間の根本的問題に関心があったのです。
もっと勉強して、哲学でも学べば良かったのかもしれません。
それに私は、あまり看護婦として器用ではないような気がしたのです。
看護学生としても、あまり優秀ではありませんでした。
成績もたいしたことはないし、実習でもミスが多かったように思います。
消毒したガーゼをよく落としたり、注射も上手ではなかったと思います。
劣等生に近い状態でした。
● 悩める看護学生
解剖学で実際の人の解剖の見学をしたり、病棟の実習をしていくうちにいろんな疑問がまた湧いてきたのです。
人間を物のように扱っているように見えたのです。
私の思っていた世界、求めていた世界は、もっと精神的な世界で本質的な世界だったのです。
もっと心の世界を高めたいという思いが強かったのでしょう。
それだけでは飽き足らなかったのです。
何を寝ぼけたことを言っているのかしら?
と思うかもしれませんが当時の私は大まじめに真剣にそう思っていたのです。
私の実習していた病院は長年結核の患者さんがいる特別な病棟がありました。
そこでは、家族とつながりが持ちにくい状態の患者さんが沢山いました。
社会復帰の出来ないかた、家族が帰ってきて欲しくない状態の患者さんが沢山いました。
帰るに帰る所のない人々をどうしたらいいのかしら?
と思ってみたり、もっと精神的、社会的に解決しなければならないことがいっぱいある。
私の求めていたものは、肉体的な看護婦ではなく、精神的な看護婦のような気がしたのです。
格好良く言うと心の看護婦です。肉体の看護は私がしなくても沢山いるからやってもらえる。私しかできないもっと違う心の看護をしたいと思っていたのです。
看護婦は立派なお仕事だと思います。社会にとって必要欠くべからずのお仕事です。
だだ私の場合は、ちょっとはみ出したのだと思います。
当時の私はかなり観念的だったと思います。お給料が高いからいいとか、手に職を持つと一生食いっぱぐれがないとか、そういう動機は不思議と全くといってなかったのです。
今から考えるとどう考えても不思議なくらいです。
生活観念が全くと言ってないのです。純粋というより、馬鹿がつくくらいにお人好しで、未熟な所の方が多かったと今更ながら、恥ずかしささえ感じるのです。
とにかく、看護学校に入ったのだから、国家試験だけは合格しないと行けない。
それだけは結果として取らなければ・・・。
やっとの思いで勉強して国家試験は合格しました。
とにかく私のこの3年間は、暗黒の3年間でした。
青春時代楽しい思い出と言うより、悩み多き青春時代だったのです。
今から思うとお恥ずかしいことだらけです。
恥の連続だったような気がします。常識もないし無知だし・・・。
でも、今多くの人が悩んでいる様子を伺ったとき、そういう方の気持ちがよ~く分かります。
私も悩んでいた経験があるからです。その当時の苦しみを思い出すと総てが乗り越えられそうな気がしてきます。
● 看護婦にならなかった私!
私は、看護学校を卒業しても、看護婦になる意味を見いだすことが出来ずにいたのです。
もっと哲学的なものを自分の中にしっかりと持たないとやっていく自信がなかったのです。一正看護婦として仕事をしていく自信がなかったのです。
もっと自分を磨く修行をしないと行けないと思ったのです。
なにをもったいないことを言うの?と思われるかもしれません。
でも、当時の私は、いまでいうはみ出し者です。
真面目すぎるはみ出しもの!そういうと変かもしれませんが・・・・。
不真面目ではみ出したのではなく、真面目に考えすぎてはみ出して看護婦にならなかったのです。
もし、私がそのまま看護婦になっていたら、今の主人にも出会わず、今のように占いカウンセリングをしていなかったでしょう。
人それぞれの人生、私は決して後悔はしていません。
むしろ私の場合良かったと思っています。
でも、その当時本当に、親不孝してしまったことは事実です。
今は、笑い話で済んでいますが、ごめんなさいと言わないと行けないのも事実です。
● 人生の訓練
私は、ある総合商社の健康部門に入社しました。
人生の訓練をしようと思ったのです。
毎日毎日、来る日も来る日も営業に回りました。
京都の田舎丹波篠山、舞鶴、宇治、深草など色々回りました。
7年間営業をやりました。成績はまあまあでした。
人生勉強には充分なりました。
一日新規飛び込みは100件以上は当たり前のことです。
インターホンで人が出てこないので、どうしたら人が出てくるか研究しました。
ある時あまりにも断られ続けたので、
インターホンを押して、
「こんにちは○○と申すものです。奥様のお宅には鳥を飼っていらっしゃるのですか?」
「はあ~?、いいえ。どうしてですか?」と質問されて
「だって結構、結構とおっしゃるじゃありませんか。
ケッコウドリ、を飼っていらっしゃるのかと思いました。」と言って
相手の方が出てこられる前に、怒られないように一目散に逃げた記憶があります。
若気の至りです。お恥ずかしいことを一杯書きます。
またある時は、田舎周りでお店が1軒もないところでは神社で食事をした記憶があります。
雨の寒い時、神社の境内でお弁当を広げて雨に打たれながら食べると、本当に寂しくなってくるのです。でも我慢して頑張りました。
でも、とてもいい方がいて、昼食をしようとすると、おみそ汁や漬け物を出して下さる方もいてとても、人の人情の温かさを感じることもしばしばでした。
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