●まとめ
金山博さんは、第二商品開発部長としてプロジェクトチームを持ち、はっきりとした目的性を持って取り組むことができたからこそ、そして多くの人を上手く力を引き出すことのできる運勢を持っていたからこそ達成できたといえるでしょう!金山博さんの人気運は、人をまとめるのにふさわしい人にソフトな相対的な人気運をしています。
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◆ 庄司敬仁さん マジシャンの職域開拓
サラリーマンから27歳で転身。レストラン、バーなど客の目の前で見せるテーブルマジシャンとして活躍する一方、商品開発やインターネット上のショップ運営、講師、番組プロデュースなど、マジックにまつわる多様な仕事に取り組む。
子どものころからマジックが好きで、21歳だった19年前、会社勤めのかたわら教室に通い始めた。まだマジックを習う人が少なく、ほとんどマンツーマンでレッスンが受けられた。24歳ごろから、バーでアルバイトをしながら客にマジックを見せるようになった。
当時、テーブルマジシャンとして生計を立てている人はほとんどいなかった。が、サラリーマンとの掛け持ちに限界を感じ、27歳で会社をやめ、マジシャンとして地道な営業活動を始めた。一軒一軒、仕事を求めて営業をしても門前払いされるのが常。バブル不況のただ中でもあり、「新宿の飲食店はほぼすべてまわったが、全滅状態だった」。
それでも、興味を示してくれる店を地道に開拓し、10年間、テーブルマジシャンとして活躍した。現在は、テレビ番組で見せるトリックを考えるプロデューススタッフや講師などに仕事の幅を広げ、特に力を入れる商品開発では、20品目余りを商品化させた。
「アイデアはたくさん浮かんでも、コストなどの問題から実際に商品化するのは難しい。さらに、ヒットし過ぎるとネタがばれてしまうので、量産できないという側面もあり、もうけにつながらない」と笑う。
「今後は子どもに教えることにも挑戦したい」と言う。「マジックを見て、目の前の物が消えることを不思議と思うか、物が浮くことを不思議と感じるかは、感覚の問題。不思議さに優劣はないということを、教えることで明確にしたい」
アメリカのように観光客相手のステージマジックが進んでいない日本では、マジシャンを目指す若い人が、活躍の場をどこへ広げていいのかわからないのが現状という。
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