●まとめ
柳舘由香さんは、出版プロデューサーとして、多くの作家達の橋渡しをやってきている。実際に本を出したいと思っている人でも、本を出すことの煩わしい手続きや事務から解放された方がもっといい仕事ができると思っているに違いないからだ。バイタリティと知恵の宝庫である柳舘由香さんならば頼りになる。強さだけではなく、人気運は人を大切にしてくれる運勢をしている。
的になれるということです。それが喜多容子さんの魅力になっています。
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◆ 高山瑠美子さん 50代から再挑戦 中華街で夢実現
民族衣装店「チャイナハウスカモメ」経営
横浜中華街で働く高山瑠美子さん(62)=写真=の原点は、テーブル一つ、屋根も壁もない露店だった。孤立無援の中華街で生き抜き、チャイナドレスやベトナムの民族衣装アオザイなどを扱う衣料品店「チャイナハウスカモメ」を構える夢を実現した。
高山さんは元々、神奈川県横須賀市内で高級婦人服店や飲食店などを手広く展開していた。しかし、1990年代のバブル崩壊後、事業縮小のタイミングを逃し、膨大な在庫と借金を抱えてしまう。
十数年前、在庫のTシャツを売りつくすため、国内有数の観光スポット・中華街に来た。知り合いが一人もおらず、苦労したが、何とか中国人の経営者からゲーム店の軒先を借りられた。テーブル一つに商品を置き、夏は太陽に、冬は寒風にさらされながら、かれるまで声を張り上げた。
そうした日々の中、中国人の老婦人に「こんにちは。ご飯食べたの」と優しく声をかけられたことに感激。横須賀に帰るのをやめ、中華街に「自分の店を構えて根付こう」と決意し、近くのしみだらけの平屋を借りて移り住んだ。
「自分のお店が持てますようにと、毎日、関帝廟にお参りしました」と笑う高山さん。高級婦人服を扱っていた経験から、きれいな縫製で、きれいなラインを出せるチャイナドレスとアオザイを作って売ることにした。50代からの再チャレンジだった。
間もなく、経営者の許可を得て、吹きさらしの露店を三畳ほどのテントの露店に改造し、ドレスを陳列した。一人ひとりのラインを美しく見せるように直しを行い、全国に配送。この手法が受けた。「屋根ができたので、自分の城が持てたと感激しました。今でもそのころの写真を大事にしています」と話す。
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