●鑑定一言コラム


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■鑑定一言コラム集は、姓名鑑定をする立場の者の姿勢や姓名鑑定に対する基本的な考え方をストレートに述べています。


皆様方の何かの参考にしていただければと思います。

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●姓名判断・鑑定・一言コラム 命名 改名 相性 全般

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■一言コラム 相性編

◆相性占いは、「ただ相性を占います。」なんていうのは、面白くも何ともない。それよりも、相性指南ということが実際は多いのだ。誰も相性をみて欲しいのではなく、その裏には、どうしたら仲良くなれるのとか、どうしたら恋人宣言できるのとか、友達関係がもう少し進展しないかななどという思惑がいっぱいなのだから!だから、「天使の占い」での相性占いは、相性を指南するといった方が本当のところなのだ。


◆相性というのは、やっぱしあります。やっぱしと書いたのは、そんなものは信用していないという人がいるからです。しかし、どんなものにも適した相手というものが必ずあるものです。逆に考えると、相性が合うというのは、それだけで実は新しい何かを創造する目的を互いに持っていて、それが一致しているから相性が合うのです。それが宇宙の法則というものなのです。水素と酸素が結びついて見ずになるようなものです。これは元々水を構成するためにあったと考えてもいいわけです。自分と妻は、または自分と主人はこういう家庭を作るために出会ったんだ。そう考えても相性的には間違いはないのです。


◆相性占いで相性がいい、悪いなどと勝手に決めつけて自分の生き方を決めてしまうのは問題なのだ。相性占いは、どうやって相手と付き合うかということを占うための処方箋なのだ。それを相性占いで恋人になるかならないかなどというのは、ただのゲームである。相性占いはそういう意味では、人間関係のつきあい方の距離学でもある。


◆相性占いの中で、最も多いのは恋人との相性はどうなっているかということだ。恋の実現に命の炎を燃やすというのは、生きている証拠でもあろう!でも、相性占いで「相手が何を考えているかを教えて欲しい。」というのは、もはや恋ではなくなってしまっている。恋そのものが”貝合わせ”のような相性だからである。そこが楽しいはずなのにね!


◆出会いが人の運命を変えるというのは、そういう可能性はある。それでも、どんな人が出会えるようになるかというのは、自分の持っている世界が課題だ。どういう人を呼び込むことができるかというの人の世界観の問題がある。相性というのは、ただ気が合うというのではない。どんな人と人のつながりを持てるかということが相性という環を大きくすることができる。


◆相性占いで相手を見ていると、その人のアプローチが見えてくる。うまくいかないケースは相手の受容できる世界と反対のことばかりやっていることが多いのだ。何を受け入れられるかということがわかってなくて結果的に押しつけていることが多い。単純なことなのに、何年もそのことで失敗している。相手の情報はいっぱい知っておくべきなのに・・・。ちょっとしたアプローチで全てが変わるのにね!


◆相性占いを何故するのかというと、実のところ本当のところを知りたいからだ。どこかで相手に不安を感じていたり、自分の心が偽っていないのだろうかと自分自身に不安を感じていたりするからなのだ。そういうことからすると、相性占いで確かめようとするのも、「確かな何か」を求めての偽らざる心の迷いなのかも知れない。


◆相性というのは難しくて、自分の心が満足するということだけではなくて、性格的にぶつからないということも重要なこのになります。離婚のほとんどが性格の不一致、価値観の相違などというデータが示すように、結婚してからの方が性格のやりとりや考え方のやりとりが大切になります。相性というのは凸と凹のようなものに違いない。


◆相性というのは、相対(あいたい)性ということである。相対(あいたい)性というのは、お互いに共通の意志や内容備えていることを意味する。それだけでは相性というのは成立しないのだ。何が必要かというと、引力である。引力が足りなければ相性は成り立たない。相手に対して引っ張る力というものが必要なのだ。この引力の反動が遠心力になる。「想えば、想われる」ような行動をとるのが真実だ。


◆相性というのは、お互いに合うか合わないかという単純なものではない。合うとか合わないなどということの前に、実は互いに「共通の何か」を探さなければならないのである。現代の人は、これができない。そういう訓練がなされていないようだ。互いに名告り、互いに自己を開いて、ちゃんと出自を明らかにし、自己を相手に認識してもらう。こういう作業もできないのに、相性も何もあったものではない。相性というのは、その共通の何かを持っていて生まれてくるものなのである。


◆相性を考えると、様々な人間模様が見えてくる。そこには基本的な人の心模様がある。そこから見えてくるのは、相手に対するつきあい方という自分のみの振り方である。相性は相手を知ることもあるが、それ以上に自分の心のレベルを上げるために必要なものだ。


◆赤ちゃんは相対的な存在であるということを忘れてはならないと思う。それならば、絶対的な存在とは?それは親であるということだ。神の如く殺生与奪の権限を持っているからだ。だからこそ、その責任は問われて当たり前なのである。それすら分からないならば、もはや親にならない方がいいと言える。親子の相性というのも実は相対的な関係を見るものなのだ。それだからこそ、「子は親の鏡」ということになるのである。


◆相性は単に相手との関係をみるというものではない。相性占いで、よく相談に来る方は、「相手は私のことどう考えているのですか?今相手は何をしているのですか?」占いは霊媒師ではないのです。人の心をコントロールしようと考えている人の方が間違いなのです。相性は人との関係の中で、自分の身のほどこしを考えるためのものなのです。


◆相性占いを考えてみると、いろいろなことがわかる。相性といっているが本当は相性ではないということだ。 どういうことかというと、相性が合うとかどうかというよりは、相手が自分のことをどう思っているかということを聞きたいだけなのである。 そんなことは自分で「どう思ってます?」って聞けばいいではないか? そういうと身も蓋ももないのですが、本来の相性というのはその人とどういう相対的なつながりを持つことができるかということを鑑定するものである。 だからそこに、人間のドラマがあるのですが、今の人たちはそういう人生のドラマを作ろうとしなくなってしまっている。 それだけ人間が即物的になってしまっている。おもしろくない人間が増えた。


◆相性というのは、みんな関心があるわりには、いざ聞いてみようとすると尻込みする。まあ、それはそうだと思う。聞いて悪ければどうしようとか?知ることは怖いから!という理由が結構ある。 だから相性はすぐに見る必要はないのだ。必要なときにこそ相性というのは効果がある。何故ならば、それだけ問題を抱えているからだ。その道を通過しなければ進めない状況だからこそ、相性という突破口を開きたいと思うのだ。そこに道がある。 世阿弥の「風姿花伝」の中に”まことの花”がある。「当座の花」、時々の「時分の花」もあろうが、「まことの花」にいつなれるのか? 相性も「当座の相性」「時分の相性」と成長して、行きつくところは「まことの相性」になるに違いない。 「まことの相性」こそ、夫婦の目指すところではないか! 熟年離婚は、究極の破局といえないでもない。 皆さんはどう思うだろうか?


◆相性にもいろいろとある。人が相性を気にするのは、問題が起こったときだけだ。または感性の鋭い人は何となく不自然だというときに、相性を気にし出す。だがそういうときこそチャンスなのだ。 相性を見て事前に判断する余裕を持つということが、相手との関係をうまく乗り切る道につながる。相性占いはそれだけの情報を与えてくれる。


◆相性は好悪の感情ではない。好悪の勘定は相性が合わないということでは現せないもっと複雑の心の表れがある。それは、人の存在を許さない極の否定の世界だ。相性というのは相手と一致することのできる共通の要素をどうやって見つけるかということだ。一致する何かを見つけるというのも相性の技術のひとつになる。


◆相性は相対的な性の関係ということになる。どういうことかというと、決まって固定化しているものではなくて、常にチェインジする関係ということになる。そこが楽しいのだ。発展というのは変化である。男女の仲が発展するのも変化がなければ発展はないのだから、自分からチェインジするというのも相性にとっては必要なことだ。


◆相性は人の心の反映というものかも知れない。それは合う合わないというよりはその人を受容できるかどうかという問題なのだろう!人は個を守るために受容できる範囲を何故か狭めているような気がする。だから、寛容が重要になる。寛容になったときに初めて自分と相対する相手を見つけることができるようになる。それが相性ということになるのだ。


◆相性というのは、球体の中の一点に過ぎないということだ。どういうことかというと、自分の中の小さな部分に相対する相手はその中心点をとおる一点しかないが、自分自身はその球体の面だ。そう考えれば、自分にとっての相性は無限にあるということになる。それを2次元で考えれば、12の特徴ある接点を相性として観ることができるということなのだ。それを立体として考えれば、面白い設計図が描けるではないか!


◆相性を考えると、これほど千差万別のことはない。十人十色というが一度として同じという相性はないのである。しかも、時間と共に変化する。その変化もダイナミックなところから些細なことまで、相性というのは変化を愉しむものでもある。それを、その時だけ相性が合わないなどと考えるのは、相手を研究していない証拠だ。もちろん、本当に合わない人もいるのだが、その前に人をよく見ることをしなりゃね!


◆人間の性格には根性というのがある。普通の性格という考えよりもっと深いところがあって、性格の根っこのようなところだ。相性にもいろいろとあるが、この性格や根性みたいなところといい関係がつくられるかどうかということだ。一見いい関係のように見えて相手が「根に持つ」ということでは、相性が本当にいいとはいえないのだ。


◆「人を呪わば呪われる」ということがある。同じことが相性にもある。どこかでその人間との「結ぶ」何かを持っているから、心が揺さぶられるのだ。問題は自分の心の中にある。相手との結ぶ何かを自分の中で解決してしまえば、それで相性は消滅してしまうことになる。反対に増幅させればそれは太い絆になる。その「結ぶ」何かを発見するために「天使の占い」は一生懸命なのだ。


◆相性を見るときに、結局は自分と他の関係を理解できていないのに「相性」にこだわっている人がいる。どうしてうまくいかないのだろうと悩みながら、相性が悪いのかも知れないと思っているのだが、自分が原因になっているとは思ってもいないのだ。相性というのは、相手との関係もそうだが、自分の原因を見つけるということの方が大切なのだ。その方がずっと解決が早い。


◆何のための相性占いか?人間というものは基本的に自分のことを先に考えるようになっている。そのことが悪いわけではないが、それから訓練によって社会性を身につけるようになる。ここで社会性というのは人との関わりかただ。そこに人間性がある。相性というのはそういう人との相対的なつながりをプラグマティックに説明しようとする相対性の学問?でもあるのだ。


◆相性というテーマは、いつになっても、どこに行っても出てくる問題だ。ちょうど人の顔が皆違うように、相性というのは、時や環境や場所によって、どんどん変化するものでもある。だから、楽しいということもいえるが、相性を楽しく思えるようには少しばかり修行がいることは間違いない。相性というのは、変化を愉しむものだからである。


◆占ってみれば、その結果に人は一喜一憂することになる。中にはそれで納得する人もいるし、不満な人もいる。占うということは現状を認識することにもつながる。しかし、一番重要なことはその結果から次の方向性を見いだすことだ。占うことはそこに意味がある。


◆ボタンの掛け違いということがある。多分それはものごとの出発の時に自分が見えてないからではないだろうか?自分が分からないまま相手に求めるだけ求めるようになってしまうと、それは無責任な要求に過ぎない。相性占いは相手をよく知るためのツールになる。


◆世の中には、何でこんな人と一緒になってるの? というカップルがある。まあ、結婚してこんな相性になったんだからといえばそれまでだが、やっぱり気になる。「縁は異なもの味なもの」というが、人の縁は相性だけでは計り知れない人知を越えた世界が存在する。


◆人にとって一番重要なことは、個人の運勢だと思いがちだが実はそうでもない。何が大切かというと、やっぱり関係性だ。だから相手とのどんな関係を結べばいいかということに気をつかうべきである。それによって運勢というものは変わってくるからだ。相性対策をしっかりとして、それが個人の運勢とどう関わるかを考える方がいい。


◆人の話し声にもずっと聞いていたい人と、もう聞くのが嫌だという人とでてくる。だから、歌声にもやっぱり好き嫌いはあると思う。自分との波動がうまくマッチングするかどうかということは、とても重要な問題だ。その相対的な波形がうまく同期がとれれば、そこに自分の居場所が生まれるからだ。相性というのは、そういう相手とのつながり方と考えればいい。


◆相性を観てみると、どうしてこういう人と結婚したり、こんな人と付き合うのだろうかということが意外と多いことに気がつく。それでも付き合い始めたたその時はそれが最高と思っているから、誰も二人の間には入れない。結局そこには二人の思想傾向が表れていることになる。というよりはどちらかに傾倒しているといった方がいいかもしれない。しかし時が経って共有する価値観が見えなくなったときは、小さな違いが大きな障害になる。性格もその一つだ。相手の能力もそうだ。そして愛情の不満が大きなきっかけで終わりがやってくる。


◆相性というのは、相手とのリレーションシップということだ。だから、立場も状況も相手との影響を受けてどんどん変わっていく。そういう中で培われていくのが相性ということになる。一時的には合うときもあるし、合わないときも出てくる。それでも、相性があるというのは、そこに時間という座標軸があるからだ。相性も時の流れを見ることができなければならない。


◆人には相性というのがあるのは誰でも感じているところである。知らない土地に行けば「水が合う」ということを考えるというのもその土地との相性である。それは自分と同じにおいというか、何かの共通の要素を感じることができるということでもある。だから似ているというのは、それだけで出会うことの因縁があるということになる。


◆家族の相性というのは意外となおざりになっていることが多い。自分の恋人や老後で夫婦だけになってしまうと気になるものなのだが、家族という単位になってしまうと忙しさに意識が遠くなってしまうことになる。しかしロングテールで考えると家族の相性をしっかりと考えておくことこそ、みんながうまくいく秘訣といえるでしょう!


◆相性を見るというのは、その人の可能性を見ているということである。可能性というのは人のつながりの多様性から道をどう見つけるかということになる。そういう観点から相性というのは見るものである。ただ合うとか合わないということで片付けるような愚かなことはしない。


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