◇2代目将軍は創業者とは違う!・・そこが問題なのだ
創業者である頼朝でさえ、御家人には相当気をつかっていた。そして、周囲の状況判断をしっかりと見定め、相当知恵を絞って政策を行ってきたのだと思います。
それなのに2代目将軍は、そういう複雑な御家人達とのパワーバランスをなかなか読むことができなかったのではないかと思います。
それには、自分の身内を優遇して、鎌倉幕府創建以来の御家人を軽くあしらうことをしたからです。頼家には自分の身内は、御家人ではないという想いがあったのではないでしょうか?その想いの表れが、妻の実家優遇となって現れます。彼の本性の身内のグループ化という特徴が表れています。それに人気運も人の和をはかるような運勢を持っています。
それならば何故、御家人衆と対立したのでしょうか?そこには彼の心霊運が大きな力を持っていることが分かります。自分の価値観、自分の考えが全てに優先するのです。この価値観の幅の中に御家人衆は入っていなかったに違いありません。たぶん彼は、父頼朝が相当頭を悩ましているところをみてきているからかも知れません。
それに、彼の仕事運は統領としての命令型のリーダーシップ運勢を持っています。ですから、自分が命令するということが当然なのです。
力がないときには、力を蓄えるまで我慢するというような考えはたぶんなかったと思います。そこが父頼朝とは違うところなのだと思います。御家人集13人による合議制で運営する幕府というのは、彼の思想の中にはなかったということでしょう!それが、有力御家人の北条氏討伐の謀議となって現れました。これが発覚し、頼家は将軍職を追われて伊豆に流されてしまいます。
歴史にもしというようなことは禁句なのですが、頼家が父頼朝のような運命式を持っていれば、頼家は時間をかけてしっかりと状況判断をして実権を確立していったのではないかと思います。難しい関東武士軍団を治めるというのは、相当にしんどいことだったはずです。しかし、この頼家の失敗が源家が三代で滅びる近因となってしまうのです。
頼家の跡を継いだ三代目の将軍になった実朝は
どうでありましたでしょうか?
実朝の運命式を見てみたいと思います。
<源 實朝の運命式>
26 14 28
13 40 27
27 26 39
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