●源平争乱時代
その前に、日本の歴史の原点をどこに求めるかというと、それは「大化の改新」という革命に求めることができます。
◇大化の改新という貴族の共産革命
大化の改新(たいかのかいしん)は飛鳥時代の孝徳天皇二年春正月甲子朔(西暦645年)に発布された改新之詔(かいしんのみことのり)に基づく政治的改革。日本の歴史上記録に残っているもっとも古いクーデターといえる、乙巳の変(いっしのへん)の後に行われたとされる。
(wikipediaより)
結局、中大兄皇子や中臣鎌足らが中心となって蘇我入鹿を暗殺し、実権を握った宮廷クーデターが大化の改新であったといえます。ここで何が行われたのかということこそ重要になります。
<大化の改新の主な内容>
@それまでの豪族の私地(田荘)や私民(部民)を公収して田地や民はすべて天皇のものとする。(公地公民制)
A戸籍と計帳を作成し、公地を公民に貸し与える。(班田収授の法)
B今まであった国(くに)、郡(こおり)、県(あがた)、県(こおり)などを整理し、令制国とそれに付随する郡に整備しなおした(国郡制度)。国郡制度に関しては、旧来の豪族の勢力圏であった国や県(あがた)などを整備しなおし、現在の令制国の姿に整えられていった。実際にこの変化が始まるのは詔から出されてから数年後であった。
C公民に税や労役を負担させる制度の改革。(租・庸・調)
※以上wikipediaより
国としての概要は、天武天皇の時代に大宝律令が発せられて、天皇を中心とした中央集権体制が確立されました。
この大化の改新は何を意味しているかというと、全ての土地は天皇のものですよ!ということであり、その土地を人民は分けてもらって、その土地によって得られる収益から国は税金をもらいますよというものなのです。
要するにこの革命によって、私有財産はなくなってしまったのでございます。これは現代