そして鎌倉へたどり着いた源左衛門が見たものは、何といつぞやの旅の僧のすがたでありました。
「佐野源左衛門常世、よくぞまいった。いつぞやはたいへん世話になった。」そう話しかけてきたその僧は、実は5代執権北条時頼だったのです。
時頼は源左衛門の忠義(ちゅうぎ)をほめたたえるとともに、佐野の領地をとりもどしてやりました。そればかりでなく、鉢の木にちなんで、梅田(うめだ)・松井田(まついだ)・桜井(さくらい)という三カ所の領地を新たに与えたということです。」
◆こういう二つの顔を持った北条時頼はどんな人物であったのか、占い運命式をみてみましょう!
<北条時頼の運命式>
28 12 22
21 38 17
31 26 33
<北条時頼の流運>
9 11 13 16 18 20 13 16
11 14 16 9 20 23 16 9
時頼という人も、やはり北条家の十字架を背負って生まれてきています。だから、彼の持つ構想理想型の特徴は、そういう中でイメージとして創られてきました。だから、時頼の