理想は執権を中心とした安定した政権を作ることにあると思います。またそういう目的指向型の性格をしているのです。4代執権のように明るく信念型の人ではありませんが、自分の理想をも求めて、その実現のために思索し作戦を練る人でもあります。ですから、何事も思いつきではなく、しっかりと計画の中に、時頼の頭の中に描かれてきたものを実現しようとしているのです。
性格的に親分型のリーダーでもなく、頑固に意固地になるわけでもなく、変に人情的でもなく、自分の理想に向かって深い考えの中から物事をすすめていきます。そういう意味ではストイックなまでに思索と目的の中に生きる人といえるでしょう!
少し似ているのは2代執権の北条義時です。彼も思索型ではありますが、時頼ほど自分のイメージに生きる人ではありませんでしたし、外交的にはうまく相手に合わせる世界もありました。しかし、時頼にはそういう世界はありません。どこまでも執権として相手に思いやる人間関係です。そういうところが5代目になる執権の特徴なのでしょう!
■8代執権北条時宗は、果たして元寇を防いだ名君なのか?
北条時宗は、二度にわたる元寇を防いだ名君として評価が高い。しかし、それは本当だろうか? そう思って歴史を見直してみるのも面白いといえる。
フビライの元が日本を属国にしようとする理由は、簡単にいうと二つあります。一つは、フビライが狙っていた南宋を弱体化して攻略するために、当時南宋とよく交易をしていた日本を属国にしたかったこと。
もう一つは、日本がマルコポーロの書いた東方見聞録によって黄金の産出する国と聞いていたからに他ありません。事実その当時の日本は、金の産出量では群を抜いていたといわれます。交易の決済や留学僧の送金も砂金で行われていたといいますから、フビライが豊富な金をもって戦費に充てようとしたことは推測できます。
1268年フビライは日本に国書を使者を通して送ってきました。その内容は以下の通りです。要約したものの一部分だけを書いておきます。
(ちょうどこの年に北条時宗が執権職に就任します)
「日本は高麗に近く、また建国以来たびたび中国に使いを送ってきたようだが、朕にはいまだに使いを送ってこない。これはおそらく、われらのことをよく知らないからだろう。それゆえ、使いを送る。これ以後は、お互いに交流し、友好を深めようではないか。聖人は世界を一つの家と考える。両国の関係がうまく行かず、兵を用いるようなことになるのは朕の本意ではない。日本の王よ、その点をよくわかって欲しい。」