◆ 人の能力と経済運
人間の能力というのは、全人格的な問題だから何が能力かということは一概には言えないのですが、頭がいいというだけならば、それは能力の一部分に過ぎないということです。
人間の能力というのは、もっと全人格的なものだからこれを測定することはたぶんできないということになります。何故ならば、能力というのは、それに相対する環境やシステムによって異なるからです。
ある場所では優秀な人でも、別の部署に行ったら何もできなかったというのは、その人の能力を引き出す環境圏がなかったということと、自分が自分の能力を発揮するための環境作りに自分が失敗したということもいえるのです。
わかりやすくいえば、高級官僚が民間会社に入って競走したら全く話にならないダメ人間ということはよくある話です。反対に学校の成績はよくなくても社会で重要な働きをしている人はいっぱいいます。だから能力というのは、一つだけではなくて総合的な人格上の問題と、時代や環境圏が自分の持っているリソースにマッチングしているかということが大きな課題になるのです。
ですから、歴史上で戦乱期の英雄が平和の時代に生きていたら「はみ出しもの」に過ぎないということもあり得るのです。
時代を知り、社会のシステムを知り、そして最後に自分を知るということが自分という人間の能力をどう発揮すればいいかということにつながるのです。
だから財における量的な問題は、人の部分的な能力ではなくて、社会システムの中で効率のいいビジネスを選び、その中でどうやって量的な拡大を図るかということになります。そこに自分と相対するリソースを見つけることが大切なのです。
そこに社会の面白さがあります。大学を出ても財を量的に扱えない人もいれば、学はなくても財を量的に大きく扱える人もいるというわけです。
3)仕事運との関係
◆ 仕事運は社会的な使命(ミッション)
普通人は仕事というのはそのまま収入の道と考えているのだが、それだけではないのです。仕事を選ぶときには、この仕事は向いているとか好きだとか嫌いだとか、やってみたい仕事であるとかなどといった別の要素が入ってきます。それでも家族が増えたり様々な生活上の問題が増えると、収入だけを考えた仕事になってしまうことが現実でしょう。
仕事というのは、実は収入の道ではなくて「その人のの社会的な使命」が仕事なのです。よく「天職」といわれる。それは、その仕事を通してその人が果たさなければならない社会的な使命がそこにあるからなのです。