本名と芸名の関係・芸名に命があった
芸能人にとって、芸名は自己をアピールして表現する一番のアイテムだ。その芸名をいい加減に扱えば、芸能生命に関わることになる。そんな大袈裟なと思われるかも知れませんが、そういう不思議なことって現実にあるということです。 芸名やペンネーム、または命名された名前に不思議な命が宿っているという考えは、何となく日本人であればわかるような気もしないでもないというのが正直なところでしょう!
例えば、ゲゲゲの鬼太郎が何故あんなに人気が出るのでしょうか?妖怪なのですが、その妖怪は、動物や人間が造った物、自然界にある物が時を経て魂が宿り、妖怪になったというものです。
「もったいない」という言葉も、物に命があるからこそ生まれてきた言葉です。ここが日本人の文化の奥の深いところで、あらゆる物に何時か命が宿るということは、とても大切な日本人の伝統的な考えです。
命名や、改名、芸名、ペンネームなどもそこに命が宿るからこそ、価値が生まれるし、命というのは見えないけれど先祖の霊などが宿るという考えと同じものです。
具体的に芸名に宿る命を検証してみたいと思います。
■島田紳助はどうして島田紳助になったのか?
★データ
島田 紳助
本名:長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)
1956年3月24日生
漫才師出身のお笑いタレント他
血液型AB型。
京都府京都市南区出身
受賞歴
・1984年 花月大賞 マンスリーよしもと賞
・1991年 日本映画批評家賞 特別賞
★エピソード1 10代の頃はボクシングジムに通った。
1973年には京都府高校フライ級1位を獲得。
中学時代は学校の窓ガラスを割ったりなど札付きの悪。
少年時代は暴走族
。
高校のとき教師叱られて「おもろい不良になろう」と改心。
あだ名は「泣き虫みー君」ー泣きながら熱く喋るらしい
将来の目標は寿司屋か競艇の選手か漫才師。
18歳のとき、B&Bに憧れ、B&Bの師匠である漫才コンビの島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に入門。
★エピソード2
2004年10月(紳助48才)大阪・朝日放送社内にて同じ吉本興業に所属する女性マネージャーに対し怒りが爆発し、その女性を別室に無理やり連れ込み、素手で殴る、顔に唾を吐きかけるなどの暴行を加え、傷害を負わせた。
なお、紳助は、芸能活動自粛期間の無期限延期を表明し、ブラウン管から一時期姿を消した。2005年1月『行列のできる法律相談所』内の生放送にて謝罪を行って復帰した。
■本名:長谷川公彦の運勢 <長谷川 公彦の運命式>
27 18 22
24 31 14
28 13 23
<長谷川 公彦の流運>
20 15
12 16
長谷川公彦時代の運勢を見ていこうと思います。具体的には18才くらいまでなのですが、もう一度簡単な履歴を見てみましょう!
「10代の頃はボクシングジムに通った。
1973年には京都府高校フライ級1位を獲得。
中学時代は学校の窓ガラスを割ったりなど札付きの悪。
少年時代は暴走族。
高校のとき教師叱られて「おもろい不良になろう」と改心。
あだ名は「泣き虫みー君」ー泣きながら熱く喋るらしい。
将来の目標は寿司屋か競艇の選手か漫才師。」
長谷川公彦の運命式を見ていきますと、すぐに特徴がわかります。
それは、彼が目的指向型であるということです。どういうことかといいますと目標がわからないと力が出てこない人であるということです。それに、意外と物事を深く考える思索型でもありますから、こんなことしてどうなるのだろうかとか、どういう方法でやればいいのかとか、結構悩む人でもあります。
「鳴泣きながら熱く語る」ということからすると、漫才師は良いと思います。
目標が見えてくるとそれに向かって一生懸命になりますから、漫才師という目標を決めたことは、大正解といえるでしょう。
また、家庭内での愛情運や性格を見ていきますと、自分をわかって欲しいという思いが強いので、その表現が強い主体性と男気から激しい行動に出るようになっているのです。それが、ボクシングや、暴走族という方向に向かっていったのだと思います。
問題は、社会運でそのままの名前では、仕事運でえらい苦労をしなければならないし、人間関係も意外と律儀でしっかりとつくるところがありますから、寿司屋とか競艇の選手では、芸名やペンネームという世界ではありませんから、自分の運勢から脱皮できなかったと思います。
そういう意味で、漫才師というのは大きな選択であったと思います。
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