本名と芸名の関係・芸名に命があった②
芸能人にとって、芸名は自己をアピールして表現する一番のアイテムだ。その芸名をいい加減に扱えば、芸能生命に関わることになる。そんな大袈裟なと思われるかも知れませんが、そういう不思議なことって現実にあるということです。
■島田紳助はどうして島田紳助になったのか?
★データ
島田 紳助
本名:長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)
1956年3月24日生
漫才師出身のお笑いタレント他
血液型AB型。
京都府京都市南区出身
受賞歴
・1984年 花月大賞 マンスリーよしもと賞
・1991年 日本映画批評家賞 特別賞
■島田紳助の運勢
<島田紳助の運命式>
22 15 26
17 33 16
28 18 23
<島田紳助の流運>
13 17
10 14
「18歳のとき、B&Bに憧れ、B&Bの師匠である漫才コンビの島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に入門。」
ライバルとして島田洋七を念頭においていたのですが、島田洋七が早々と吉本興業を離脱してしまったので、肩すかしを食った感じらしいのです。
そこで、島田紳助という芸名をもらうことになります。ここからが彼の運勢が大きく展開することになるのです。
島田紳助の芸名では、先ず自分が一番になるという強い主体性が出てきます。それに将来に対する先読みをしっかりとするようになります。だから、漫才にしても考えた漫才をしっかりと行います。そういう仕事の運勢ももっています。何よりも、紳助になって良かったことは、人気運がとても良くなったことです。それはどんな人間にも合わすことができると同時に自分の土俵に持ってきてしまうという不思議な運勢をもっているからです。
問題点がひとつあるとすれば、それは愛情運になるでしょう!相変わらず、男気と自分中心的な考えは変わっていませんから、これが行きすぎると人生を無意味にする暗示が出てきてしまいます。
そんな島田紳助ですが、
「1975年、松本竜介と共に漫才コンビ「紳助・竜介」を結成して漫才ブームの波に乗り、吉本興業の看板芸人となります。しかし、人気絶頂期の1985年に紳助の提案でコンビを解散してしまいます」
島田紳助の相方である松本竜介はどんな運命式をしているのでしょうか?
■松本竜介の運勢
<松本竜介の運命式>
17 13 23
12 27 15
22 14 19
松本竜介は、芸人としては実に芸人らしい運命式をしています。自分を無くすことができます。要するに「なりきり」ができるのです。それに、仕事の運勢でも自分が主体的に行動する強さをもっています。また、しっかり自分もあって頑固でもあります。人に対してもきっちりと付き合う姿勢がありますから、信頼ができたと思います。
それも、芸人としての分野に限ることはいうまでもありません。
だから、島田紳助と松本竜介は良いコンビであったといえます。
その松本竜介さんはコンビ解消後、芸名を松本竜助に改名しています。
その後の松本竜助さんはどうなったでしょうか?
■改名後の松本竜助の運勢
<松本竜助の運命式>
20 13 23
15 30 15
25 17 22
★事業を興すが自己破産
その後、映像制作会社を起業し、タレント活動も続ける。
1996年頃より吉本興業と縁遠くなり、1998年に居酒屋、喫茶店、アダルトビデオ製作などの副業失敗で1億3000万円の借金を抱え、自己破産した。
芸名を改名しないで、そのまま芸能活動一本に絞れば良かったものを、事業などに手を出したりすることが、運勢を失う元になったといえます。
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