(wikipediaより)
父・時政は平治の乱で敗れ伊豆に流されていた源頼朝の監視役であったが、時政が大番役のため在京中で留守の間に政子は頼朝と恋仲になってしまう。
『曾我物語』には頼朝と政子の馴れ初めとして「夢買い」の話がある。政子の妹(後に頼朝の弟・阿野全成の妻となる保子)が日月を掌につかむ奇妙な夢を見た。妹がその夢について政子に話すと、政子はそれは禍をもたらす夢であるので、自分に売るように勧めた。不吉な夢を売ると禍が転嫁するという考え方があった。 |
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妹は政子に夢を売り、政子は代に小袖を与えた。政子は吉夢と知って妹の夢を買ったのである。吉夢の通りに政子は後に天下を治める頼朝と結ばれた、とある。
治承元年(1177年)、頼朝と政子の関係を聞いて平氏の怒りを買うと驚いた時政は、政子を伊豆目代の山木兼隆と結婚させようとした。山木兼隆は元は流人だったが、平氏の一族であり、平氏政権の成立とともに目代となり伊豆での平氏の代官となっていた。
政子は山木の邸へ輿入れさせられようとするが、強引に頼朝の元へ逃げ出してしまう。この時のことについて、後年、源義経の愛妾の静御前が頼朝の怒りを受けたときに、頼朝を宥めるべく政子が語った言葉で「暗夜をさ迷い、雨をしのいで貴方の所にまいりました」と述べている。頼朝と政子は伊豆山権現(伊豆山神社)に匿われた。政子が21歳のときである。伊豆山は僧兵の力が強く目代の山木も手を出せなかった。政子は、まもなく長女・大姫を出産する。時政も2人の結婚を認め、北条氏は頼朝の重要な後援者となる。
政子の妊娠中に頼朝は亀の前を寵愛するようになり、近くに呼び寄せて通うようになった。これを時政の後妻の牧の方から知らされた政子は嫉妬にかられて激怒する。11月、牧の方の父の牧宗親に命じて亀の前が住んでいた伏見広綱の邸を打ち壊させ、亀の前はほうほうの体で逃げ出した。頼朝は激怒して牧宗親を詰問して、自らの手で宗親の髻(もとどり)を切り落とす恥辱を与えた。頼朝のこの仕打ちに時政が怒り、一族を連れて伊豆へ引き揚げる騒ぎになっている。政子の怒りは収まらず、伏見広綱を遠江へ流罪にさせた。
政子の嫉妬深さは一夫多妻が当然だった当時の女性としては異例である。頼朝は生涯に多くの女性と通じたが、政子を恐れて半ば隠れるように通っている。当時の皇族や公家が多情であることは有名だが、有力武家も本妻の他に多くの妾を持って子を産ませて一族を増やすのが当然だった。頼朝の父の義朝も多くの妾をかかえており、祖父の為義は子福者で20人以上もの子を産ませている。これに対して、頼朝の庶子の貞暁は政子を憚って出家させられた。このため政子は嫉妬深く気性の激しい奸婦のイメージを持たれる様になった。
文治2年(1186年)義経の愛妾の静御前が時政に捕らえられ、鎌倉へ送られた。頼朝は白拍子の名手の静に舞を所望する。静は鶴岡八幡宮で白拍子の舞いを披露し、頼朝の目の