「ある大雪の日のこと。上野国佐野あたりに、一人の旅の僧がたどり着きました。信濃国から鎌倉へ向かおうと旅をしてきたのですが、大雪のために先へ進むことができません。
僧は近くの家を訪れて、一夜の宿をたのみました。しかし、その家の主人であった佐野源左衛門常世は、「こんなあばら家では、とうていおもてなしをすることなどできません。どうか、よそをおさがし下さい。」と答え、僧の申し出を断りました。
しかたなく僧は、雪の降りしきる道へ出、一夜の宿を求めてまたとぼとぼと歩きはじめました。その後ろすがたを見た源左衛門は、急に思い返して僧をよびもどし、自分の家に泊まってもらうことにしました。
けれども貧しい源左衛門の家には、食べ物といえば冷えた粟飯ぐらいしかありません。体のしんまで冷えこむような寒さなのに、囲炉裏にくべる薪さえないというありさまでした。
源左衛門は立ち上がると、梅・松・桜の鉢(はち)の木をもってきました。そして「みごとな鉢の木…」という僧の言葉の終わらないうちに、おし気もなく鉢からそれらの木をぬきとり、囲炉裏にくべるのでした。
「貧しいわが家では、せっかく泊まっていただいても、なんのおもてなしもできません。せめて少しでも暖まっていただければ…」という源左衛門の言葉をきっかけに、僧は源左衛門の身の上話に興味をもち、いろいろとたずねました。
「私は、名を佐野源左衛門常世と申します。かつてはこのあたり一帯を治めておりました。けれども、一族のものに領地を奪われ、今はごらんの通り、おちぶれてしまったのです…」
源左衛門の身の上話を聞きながら、僧が家の中を見まわすと、立派な薙刀(なぎなた)があります。鎧(よろい)をおさめてあると思われる箱も目に入りました。
「はて……、薪もないほどの貧しさといいながら、これだけ立派なものがあるのはどういうわけか…。」と僧は不思議に思いました。その気持ちを察したのでしょうか、源左衛門はさらに話しを続けます。
「今はこのようにおちぶれてはおりますが、鎌倉に一大事がおこり、鎌倉殿からのお召しがあれば、たとえ傷んだ鎧であってもこれを身につけ、さびた薙刀であってもこれをこわきにかかえこみ、あのやせ馬にむち打って、真っ先にかけつけるつもりでございます。」
「そしていよいよ戦(いくさ)ということになったときには、勇ましく敵に切りこみ、いさぎよく討ち死にする覚悟でおります。けれども、今のような貧しさでは、飢えに苦しみ、寒さにこごえて死を待つだけのような気がいたします。私はそれが残念でならないのです。」
話しを聞いていた僧は、返す言葉もなく、ただただ何度も何度もうなずくだけでした。そして翌日、旅の僧をあつく礼をのべて、源左衛門の家をあとにしました。
しばらくたったある日のこと、「急ぎ鎌倉に集まれ」という命令が、関東八カ国の御家人たちに向けて発せられました。源左衛門はとるものもとりあえず、鎌倉へかけつけました。