おこって2度も侵略を受けるが、神風で事なきを得ている。この神風がおこった問題はもっと大きな世界の動きのシステムの中で、日本という国の位置が決められておこっているように思う。何故ならば、チンギスハンのモンゴル帝国が世界を席捲したのも歴史的な大きな意味があるはずだからです。
「神風」がおこった理由はよくわからないのであるが、結論的にはこれで武士政権は守られたということになる。逆に言えば、武士政権を守るために「神風」がおこったと考えていいという想いがある。
別に北条政権がとても素晴らしく善政を行ってきたとは思いませんが、少なくとも民による自由意志を反映させる政権を途中で中断させてはならないということではないでしょうか?
何故なら「民意は天意」という言葉があるように、一部の特権階級のために国家が存在するのではなく、人間の本来ある自由と無限の可能性と人の愛という高い精神性の実現こそ天の意志であるという想いがあるからです。国家は国民一人一人の自由と愛、人間としての尊厳性を保証するものでなければならないはずです。
海に囲まれた小さな島国日本は、そういう意味では天帝や八百万の神々の実験場ではないかと思うのです。
◆北条時宗は、元寇まで利用して北条家による
専制と日本の支配を目指した
北条時宗は、モンゴルの襲来に備えて博多湾沿岸に
石塁を築かせました。これは、水際でモンゴル軍を
くい止めるためです。そして、異国警固番役も強化
したと同時に九州・日本海側の守護を北条一門で
固めるようにしたのです。
それだけではなく、今まで手を出せなかった皇族や貴族の
開いた荘園、本所や領家の荘園在住の非御家人にも、各国
の守護の命令で戦いに動員できる体制を整えたのです。
これによって、北条家による支配は日本全国に及ぶようになったのです。
だから、モンゴル襲来は日本の危機ではあったけれども、北条政権にとっては支配を日本全国に広める絶好のチャンスでもあったのです。