★足利義詮は足利尊氏と運命式的にはよく似ている
<足利尊氏の運命式> <足利義詮の運命式>
18 14 26 27 14 27
11 30 19 20 40 20
23 16 23 33 26 33
二つの運命式を並立してみるとよく似ていることが分かるでしょう!
違っているのは本性と社会運です。
尊氏はどんなことをしても自分が将軍でなければならない人です。そういう運勢を持っているといえます。一方義詮は、同じように相当強い主体性と自分が一番である意識は強いのですが、それ以上に組織力やグループ化ということをしっかりとつくる運勢にあるといえるでしょう。
また、尊氏の仕事運はなかなかの策士でもありますが、義詮はしっかりと自分の仕事を形にして残す意識が強いのです。ですから、難しい勢力争いの中にもしっかりと自軍の組織化を図り、着実に形を作って既成の事実を積み重ねるようにして、次の世代に道を広くことができる運勢をしているのです。
このように、少しずつですが、有力な武将達が回りに集まり始め、政権をしっかりと形作るようになったところで、足利義詮は37才にして没してしまったのです。
残されたまだ幼少嫡男の足利義満は管領の細川頼之に託されたのでした。
古典『太平記』では、酒色に溺れた愚鈍な人物として描かれているのですが、もし本当に愚鈍な人物ならば、足利政権は義詮の代で滅んでいてもおかしくはなかったはずです。そのくらいこの時代は不安定な時代の狭間にあったといっていいでしょう。
こうして足利幕府は、尊氏ー義詮とうまく連携しながらその基盤を確実にしていき、第三代将軍足利義満を迎えるようになります。
そしてこの時が、足利政権の最も安定した、最も勢力のあるときになったのです。それでこの足利義満が何を望んだかということが大きな問題になります。室町幕府のテーマである「犠牲」という考えとあわせて、足利義満の話は、次の号に譲りたいと思います。