●鑑定一言コラム
■鑑定一言コラム集は、姓名鑑定をする立場の者の姿勢や姓名鑑定に対する基本的な考え方をストレートに述べています。
皆様方の何かの参考にしていただければと思います。
●鑑定一言コラム
●姓名判断・鑑定・一言コラム 命名 改名 相性 全般
●姓名判断・鑑定・一言コラム 命名 改名 相性 全般
■一言コラム 相性編
◆相性は、相対的な関係ということがいえます。相手によって変化するということですから、それはどういう変化をすればいいのかということになるのです。相手の持つ性質やら特徴、タイプから様々なことが予測できるのです。そういう可能性の中から、どういう対応をすればいいかを考えねばならないのです。それが相性占いということなのです。決めつけてしまえば道はなくなります。
◆相性占いは、できる限り早めにした方がいい。何故かというと、それだけ相手の心の状況がわかる分だけ、どうすればいいかという方向性がわかるからだ。いろいろと問題が出てくるようになってからでは、その原因究明だけで終わってしまって、対策になりにくいのだ。だから、大切な人であればあるほど最初から相手の研究をしてあげることは、愛情でもあるのだ。
◆相性占いは、人生の様々な様子を映し出す。この世の中にぴったりと相性がいいなんてことは、本当はないと考えた方がいい。それよりも、どこで相手との繋がりを見つけるかという事なのだ。運命式はその糸を教えてくれるのだ。そしてその小さな糸を大きく太く発展させる努力をどうしてきたのかという事の方が重要だ。相性占いはその為にある。
◆相性占いというのは、合うとか合わないとかという問題ではないのだ。じゃあ、相性って何だというと、「しっかりと相手を見続ける」ということなのだ。相手も見ていなくて「相手の方に自分を見ろ」では、相性ということにはならないのだ。何故ならば、相性というのは相互に築き上げるものだからである。
◆相性というのはいろいろなところで現れる。自分と合わない相手とコラボレーションしなければならない場合など最悪である。どうすればいいのか?実は相手がわからなくて「自分とは合わない」と思いこんでいる場合が少なくない。そんな時は、まず相手の価値観をしっかりと確かめることだ。その次に相性占いで相手の性格や内容を知れば、トラブルを起こさない対応はできるはずだ。
◆何事にも”間”というのがある。間合いだ。この呼吸がわからないと、人とのつながりをうまく取り持つことは難しい。よく”魔”が入るというのは、この辺の難しさを語ったものだ。相性というのは、そういう人との関わり合い方を見るものだから相手の性格、求める要求が何かをよく知って心の距離を取るものなのだ。相性というのはそういうものだから、「彼と私は相性が合うの!結ばれる運命!」なんて単純に考えている輩は一度だまされて頭を冷やした方がいい。
◆相性占いの中で、結婚問題は一番重要だ。それはその人の人生がかかっているからだ。自分のことは自分で何とかなるものだが、相手によって自分の人生が左右されてしまうというのが永遠の相手との相性ということになる。そうなると、相性というのはただ可能性を示すというよりは、それ以上にちゃんと人間観を伝えられなければならないのだ。自分の世界は2次元だが、相性の世界は3次元になってくる。
◆事件をおこす人の運命式を見ていくと、ある特徴が見えてくる。それはどうも自分造りに失敗をしてしまった人ということである。そこには周囲との人間関係の相性が問題として浮かび上がってくる。一番の問題は親子や家族という関係がどのようにその人に作用しているかということだ。その辺が人造りに大きな力を持っている。相性占いはそのあたりから見ていくことで様々なことがわかってくると言える。
◆運命の赤い糸があると信じられている。というよりはそうでありたいと信じたい人が多いのである。「運命の赤い糸で結ばれる運命だったのね!」などというのはロマンティックで夢がありそうだ。しかし、はっきりと言っておこう!運命の赤い糸は誰かが結んでくれるのではなく、自分が結ぶものなのだ。相性占いはどういう人とその「赤い糸」をどう結ぶかという可能性を占うものだ。「赤い糸」は今までの自分造りの結果でもあることを忘れてはならない。
◆人は出会いの中にはじまり出会いの中に終わると言ってもいい。そういう出会いは、別れのはじまりでもあるが、それ以上に出会うことの感動は大きいのだ。相性というのは人の心のどこかに相対することによって生まれる。そこには何かの共通の要素や、性格、感情の求めるものが必要なのだ。相性占いというのは、そういう一つ一つの可能性を掘り下げて、どういう出会いをすれば未来がひろがるかを求める人に対する挑戦なのだ。
◆相性占いには、ちょっと考えさせられることがある。それは、相性占いで悩んでくる人の中に、自分が悪いのではないかと極度に考える人がいることだ。その人の運命式を観ると、それなりの運命式をしている場合がある。そういう場合、自分造りに成功してこなかった人が多いということだ。どんなに優れた運命式でも、自分をどのように創るかという自己創造の努力を怠ってくれば、人との相性の関係で、自分の問題点が浮き彫りにされてしまう。
◆相性占いは、悩ましいのだ。どういうことかというと、相性を見てもどうにもならないことがあるからだ。もちろん、相性を見てどういうつき合い方をしてよいかという計画は立つ。しかし中には、因縁めいた相性だってあるのだ。昔結婚に失敗した彼女と全く同じ運命式の女性と出会ってしまう。実は運命式が運命式を呼び寄せてしまうというミステリーだってあるのだ。そんな時は驚かれてしまっても良いから現実をちゃんと説明することにしている。
◆「相性占いとかけて何ととく。夫婦ととく。その心は、合うときも合わないときもある。」相性というのは基本的には相対的な関係だから、相手のどこを見つめているかと言うことが問題になるのだ。そこに気がつかないと、占いをいくらしても改善はされないのだ。
◆相性というのは、全部があっていなければと変な考えにとらわれる人がいる。人間なんていうものは全部合うなんてあり得るはずがないのに、運命の赤い糸で結ばれている人がいるはずだと思いこみたい人がいる。誰が運命の赤い糸を結ぶかというと、自分で結ばなくて誰が結んでくれるのでしょうか?相性というのは互いの事情圏や心情圏を共有するところに本当の相性が生まれるものなのです。その辺を忘れてはならない。
◆人が合うとか合わないというのは、絶対的に定まった問題ではないはずだ。それを今合わないから将来も合わないだろうというのは、自分の思い込みだ。でも実際にはどうしても合わないということが出てくる。それは何故か?答えは自分の中にある。その人のどこと自分を合わすかということなのだ。100%全部合うなんていうのはないのだ。相性占いそしてみるとそういうところが見えてくるようになる。
◆相性がいいとか悪いとかいうのは、どうも相手としっかりと四つになって取り組めるかどうかということが多い。用は肩すかしを食うような相手ではないということだ。もう一つの要素は、自分が必ず勝てるとか、優位に立てるとかいうように、自分の主体性が発揮できるかという判断が働いていることになる。でも、本当の相性は相手にもプラスになっていなければならない。相性占いはそういう相互の関係が作れなければ意味がない。
◆相性というのは、人とのつながりの度合いを示すものなのだが、それは数値で表すことが出来るほど単純ではない。その時々の設定条件では合うものも合わなくなるときだってあるはずだ。それでは、相性というのは何かというと、互いに相手を知りながら合わす努力をするところに、コミュニケーションができて、人のつながりが生まれるのである。だから、相性占いは、もっと素晴らしいつながりができるために利用するものだと思う。
◆相性というのは、家にもついてまわる。どういうことかというと、家相にも相性というのがある。迷信じみた家相はお呼びではないが、家というのは合理的な造りを昔の人はしていた。自然と共に、具体的には太陽と相性を合わせて家の造りを考え、空間の使い方を工夫していたのだ。そういう意味では、現代人はもっと相性を学んで家を建てるのがいいと思うが・・・。
◆相性占いで大切なことは、事実をしっかりと伝えることだ。占いでわかることは可能性や方向性なのだが、その答えを出すにも、感情が入っていたり、相手に感情移入してしまっている状況では、方向や解決策に大きなずれが生じることがある。といっても、悩んでいる人に「感情的になるな」という方が無理な話なのだから、そこは鑑定師の心のキャパシティが問われることになるだろう!
◆食育というのが最近いわれるようになった。野生の動物というのは、どんなに食べ物があるように見えても自分が経験してきた食べ物以外はなかなか口にはしない。それだけ用心深いのだ。自分の体との相性をよく知っている。一歩間違えれば死が待っているからだ。人間も相性という人とのつながり方をもっと研究すべきだ。そういう技術が足りないように思う。
◆やる気を引き出すことに苦労をする上司は多いだろう!問題は、相手から好感を持たれていることが重要なのだが、どうしたらいいだろうと試行錯誤することで疲れてしまう。答えは簡単だ。その人の本当の性格を知って、相性を合わせた指導をすればいいのだ。相性占いをしてみれば、どんなことに関心があるかの傾向が分かる。
◆自分と相性的に会う人間ばかり探そうとする人がいるが、そういう人は自分を成長させようとする意識が薄いのかも知れない。逆縁の仏という言葉がある。実は自分を成長させてくれる人というのは自分と最も合わない人ということなのだろう!そういう人は自分を見つめ直させてくれるきっかけを作ってくれるから自分が成長するのである。相性というのは合う人も合わない人も必要なのだ。
◆相性占いというのは、結構大変だ。複雑になってから相談に来るからだ。そんなに糸が絡まってしまう前に、相談にきていれば打つ手があっただろうにと思うこともある。結局相性占いは、どちらかというとコーチングまがいになってしまうことが多い。
◆夢というのはいい言葉だ。夢というのは今は現実ではないが何時かはそうなればいいなという希望だ。占うということはそういう夢の現実への一歩ということになる。相性占いをしてみれば、どうやって対応すべきかという小さな一歩が見つかるかも知れない。
◆相性占いでは、本当は結婚後の相性を占った方が実利的なのに、どういうわけか今の自分と彼の相性は?などということが多い。刹那的ですぐに変わってしまう相対的な恋人との相性よりも、結婚という絶対的な枠組みでの相性の方がより人生を決める重要な相性なのに、そこに気がつかない人の心は?である。やっぱり「ルート2」なのだろうな!
◆人間っていうのは不思議なもので、調子のいい時っていうのは何も考えていないみたいなのです。だから、結婚する時っていうのはわざわざ「相性占い」を見てもらおうとは思わないのです。ところが結婚生活をしている中で、ちょっと都合が悪くなると、何だか自分たちの関係が悪いのは相性の性かな?なんて思うようになって、さかんに調べまくる。本当は先にちゃんと相性を見ておくのが「転ばぬ先の杖」なのにね!
◆「転ばぬ先の杖」とある。相性占いは、本当はそうあって欲しいのだが、実は転んでから相性を占って欲しいという人が意外にも多い。転ぶ前に申し込んでいただければ、もっと生き方が変わったのに!そういうことは沢山ある。人は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の喩え通り、ちょっとよくなるとすぐに難しかったことは忘れてしまう。事前に相性占いで教訓を知っておくことは、千金の重みがあるのだ。
◆ネット上で無料の相性占いサイトを見て、自分でもやってみた。案の定生年月日占いだ。結構いろいろなデータを出してくれている。しかし、自分にどれもあてはまりそうであてはまらないような気がする表現ばかりだ。何故だろうと考えてみた。言葉に命が宿っていないことに気がついた。コンピューターは「私」のことを考えてはくれていないのだ。
◆相性占いをして何を見つけようとするのか?今の時だけの相性をうまくしたいというのであれば、それは止めた方がいい。何故かというと、刹那的に相性を良くしてもそれはむなしく破局するだけだ。もっと基本的な人間としてどんな人なのかを知ることが重要ではないか?そう考えればちゃんと親子関係から見ておかなければその人の姿は出てこないことになる。そこまで見て相性占いといえる。
◆相性占いは、自分占いでもある。自分の付き合う相手を見れば、自分のレベルが自ずとわかるからだ。だから、相性占いでどうにもならないような男や女に未練を持っている人がいるが、自分のレベルを少し上げる努力をすれば、何であんな人に執着してたのか!と簡単になってしまうものだ。そういうこつをつかまえることは経験かも知れない。
◆相性占いは、どんな霊がとりついているとか、相手が今自分のことをどう考えているとか、そういうことを観るものではない。冷静に考えれば当たり前のことなのだが、当事者には「藁にもすがる想い」があるから、相性占いでそういうことを要求するのだろう!本当はもっと本質的な問題を相性占いは判断するものなのだ。その時だけの「刹那」を知りたい人は、そういう願いに応えてくれる霊的な専門家がいるはずだ。
◆相性占いをもっとうまく利用すればいいのになあと思う。世の中こういう事をうまく利用すれば、いらぬ努力をしないでちゃんとした人間関係を楽しく築けるのにと思うのである。妻の一言が夫の心を凍らせてしまうと言うことだってあるのだ。相性占いという情報をうまく活用するのも知恵というものではないか?
◆相性占いの中で、何でこの人が結婚したのだろう!という人がいる。そういうのを”ご縁”ということで片付けているのだが、実際はその時に、そのシチュエーションで、その人と自分の数字的な内容が一部分ぴったりと合ったということなのだ。だから時がたつとぴったりと合ったその感覚がだんだんなくなってくる。本当は結婚してから合うことを考える方が賢いのだ。
◆相性占いの世界では、単なる占いの運命式だけでは鑑定することはほとんどできないと思う。もし、それだけで鑑定をしている人がいれば、それはちょっと問題だ。命名も相性もコンピューターで何でも占いをすることが流行っているが、それで判断することは馬鹿げている。複雑な人間の心理をプログラムできるはずがないではないか!運命式をベースにした心理的な解析ができないと、相手との相対的なつながりを求める相性占いは難しいはずだ。
◆相性占いというのは、その人の価値観が大きく影響する。何故かというと、その人の運命式は、大きな滑走路のようなものだから、どの滑走路でどういう離陸の仕方を、どのような飛行機でするのかは、自分が決めることになるからだ。それが、運命式の運用の仕方になる。滑走路に合わせた飛び方をする必要があるからだ。その辺を見ることができないと、相性は分からないことになる。
◆相性占いは、自分を相手に会わせるためにどうしたらよいかと考える場合と、相手を自分に合わせるようにし向けるにはどうしたらよいかを考えるという場合がある。主体を自分においている場合は、自分が答えを出そうとする。しかし、「相手よ変われ!」というのは、いくら占っても何も変わりはしない。人生は相対的な関係だからだ。
◆相性というのは不思議なもので、いつも変化するのだ。今はいいと思っても明日はわからないのが相性だ。しかし、その中にも変わらないものがある。それをつかめば、変わる相性を楽しむことができる。
20年かかってつかむのか?それとも一瞬でつかむのかは自分次第である。占いは、そういう「一瞬をつかむ為の道具である」と思うべきだ。
◆相性は自分を知ることでもある。逆縁の仏ということばがある。相手によって自分の仏性が啓発されるのだ。それを啓発させてくれた相手は、いい人ではないことが多い。だからこそ自分の心が刺激を受けるのだ。相性というのはそういう面からも人と自分を知るための最小限のデータを提供してくれるということがいえる。
◆相性占いは相性を占うものだけではない。実は「生き方占い」でもある。どのように相手とつきあい、どのように自分は身の程来し方をすればいいのかということだから、それは自分の生き方になるのである。でもそれは、ちょうど処方箋を与えているようなものだから、本当はその人の生きるということの哲学がなければならない。それがないから自分を創れないできてしまったのだ。
◆ 本当の相性占いというのは、自分との関係をどうやったら築くことができるのかということを占うものだ。占うというよりは分析に近い。ただ何となく相性が合いますね!では意味がない。相手とのつながりを探してあげなければいけないのだ。そのつながりをどう生かすのか?どうすればそのつながりが意味を持ってくるのか?それを占ってあげるものなのだ。
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