●鑑定一言コラム
■鑑定一言コラム集は、姓名鑑定をする立場の者の姿勢や姓名鑑定に対する基本的な考え方をストレートに述べています。
皆様方の何かの参考にしていただければと思います。
●鑑定一言コラム
●姓名判断・鑑定・一言コラム 命名 改名 相性 全般
●姓名判断・鑑定・一言コラム 命名 改名 相性 全般
■一言コラム 改名編
◆改名する人は本当に頭のいい人だ。どうしてかというと、自分という人間の持っている仮想エネルギーから解放されるからだ。「平安美人は今は不美人」ということを考えると、一度は自分を捨ててみると本当の自分がよくわかるというものだ。
そういう改名は、今まで不可能だった「自分の想い込み」からの解放となる。
◆改名する勇気もなければ、人生は転換できないだろう!自分を変えるというのは、今までの自分の習慣性を断ち切るということなのだ。そういうことは、一度自分を墓場に入れてみなければできない。もう一度生まれ変わって自分を造ることができる。そういう作業を象徴的に行うのが改名なのだ。だから、何もしないで変わればいいなと考えている人は、「棚からぼた餅」をただ手をこまねいて待ち続ける人ということになる。
◆改名や芸名を考えてみたときに、基本的には自分の世界をどのように構築しようとしているかということが問題になるのだ。これはちょうどビジネスにおける理念とビジョンのようなものである。どんな自分になりたいのか、自分という個人ブランドをどのようなビジョンにするかということなのである。そういう個人ブランドを創造するお手伝いが、改名や芸名なのである。
◆改名してもうどのくらいになるであろうか?14,15年にもなるかも知れない。ここまで来ると戸籍名の方が違和感がある。改名すると何が変わったかというと、自分の中の心のリズムが変化していることが分かるようになる。自分の心が奏でる調べが違うのである。心が反応して共鳴する音が全く違うのである。改名は心の周波数を変えてしまう。
◆綾戸智絵が綾戸智恵と改名した。50才の誕生日に「綾戸智恵」の本名に戻したのだ。これも、なかなか粋な選択肢である。50才を境に、「恵を返したい」ということなのだという。ということはここで運勢を大きく転換したいということなのだ。そういうことを感性で分かっている綾戸さんはさすがだと思う。改名による人生の節目を造るというのは賢い選択肢なのだ。
◆改名してみると面白いことが見えてくる。それは今までの自分では見えなかった世界があるということだ。どうしてかというと改名によって、自分の意識範囲が大きく変容したからなのである。今までは右が全てだと思っていたのに、実は左があったということが気がつくのだ。もちろん最初から左はあったのだが、自分にとっては実在していなかったことになる。それが見えるというところに改名は人の意識力を変えたということがいえるのだ。本気になって改名してみればそういう体験ができる。
◆改名するということは、自分を改造することにつながる。それが分かっていて改名をする人と、プチ改名で何となく気分が変わればという程度では、名前そのものに重みがない。自分の名前が社会に評価されるということを目指してしっかりとした改名をして始めて運勢が自分のものになるのだ。
◆改名というのは、その改名する人に新たなる価値を賦与するものに他ならない。だからこそ、改名には運勢を良くする運命式も必要だが、それと同時にその名前に秘められた物語が大切なのだ。それと同時に、改名するに至った動機も重要だ。改名の物語と動機、それが自分に新たなる使命を与えることになる。
◆名前の中には、様々な意味が込められている。もちろん漢字自体にもその漢字の成立する中での意味がある。その意味の大きさに合わせて漢字の宇宙をつくってやることが必要だ。だから改名や芸名というのは、漢字や字の持つ意味が形としてきめれば、全体の名前が持つ格数は漢字の持つ宇宙の魂といえる。
◆改名しないで悩んでいる人こそ運勢がないといえるかも知れない。何故かというと、自分との関わりの中で全ての問題が起こっているのだから、人の性にするよりは自分が変わる道を選択した方が解決が早いのは当たり前だ。改名した人はそのことの意味がよくわかるはずだ。そして改名が意味をしっかりと持つためには、ちゃんとした動機を持つことも必要だ。
◆改名の相談にはその人のエネルギーを感じる。そのエネルギーがあるから道があると考えていい。どんな状況におかれていても、そこに覇気があるからこそ、未来があるというものだ。改名相談には、改名しなくてもそのエネルギーの方向性だけをちょっと変えてやればいい人だっているのだ。それを教えてあげればすむ。その反対にしっかりと改名して自分造りの出発をした方がいい人もいる。嬉しいのはそういう覇気のある人がいることである。
◆「かいめい」を変換してみると、改名、解明、開命、階名、開明、会名、戒名と出てくる。それぞれにいろいろな意味を考えさせられる。「改名」という名を改めることが、自分を解く解明につながり、それは命を開くことにもなり、未来を明るくすることにもなり、自分を戒めることにもつながるのである。ちょっとした勇気を出して改名してみれば、新しい自分が見えてくる。何と素晴らしいことではないか!
◆改名ということが人の生き方に影響を与えているのは、間違いないと思う。人生は自分で開拓するものなのだが、自分が成功するという自信のない人が成功するはずがない。先ずは、自信を持てる自分にすることが第一であり、その次に自分の内容を身につけることである。裏付けのない自信は砂上の楼閣と同じだからだ。名前の裏付けとして運命式があり、能力の裏付けとして本人の内容がある。
◆改名すれば、全てが解決するわけではない。改名がスタートになる。ということは、改名した時点で自分が新しくこの地上に誕生したと考えればいい。生まれたわけだから、真っ白な自分を新しいカラーで染めるわけである。その積み重ねで自己の創造ということが可能になる。花嫁が白無垢を着て嫁ぐような感じである。
◆改名ということは、自分らしさを見つけるということでもある。「これが自分だ」と思える世界が表現されているブランドということだ。そういう意味では「oneself」の確立ということだろうか?実は改名が「oneself」の確立につながるということなのだ。内在する自己の変革へのエネルギーが、自分自身の改名へとつながっている。
◆改名というのは、とても大きな意識改革である。その中で襲名というのも改名のひとつなのであるが、普通の改名と何が違うかというと、襲名は既に大きな業績を残した先人の名を頂戴するわけであるから、その名を持つということは既に勝利が約束されているということなのである。そこが普通の改名とは違うのである。ただ良いことばかりではない。当然にその負の遺産もあるだろう!しかしそれを差し引いても襲名というのは、大きな価値を最初からもらったことになるのだ。伊達政宗も伊達家中興の祖である「政宗」の名前を襲名したものだ。
◆改名することで自分を表現するということができるようになる。人は自己表現してこそ自己のアイデンティティを確認できるというものだ。その昔女性は本当の名を隠していた。その名を教えるということは、相手が自分の永遠の伴侶であるということを告白するということなのである。普段は改名と同じような字名を使って「仮」で生きているのだ。そういう多彩な生き方を昔の人はできた。現代でも改名というペンネームを持つことは、多彩な生き方を可能にするということなのだ。改名というペンネームを持つことは、人生を豊にするということである。
◆改名してみると、不思議なことがおこる。改名といっても戸籍まで変えるわけではないから、ペンネームということなのだが、時に銀行などで戸籍名を書くことがある。すると何だか別人がそこにいるかのような錯覚に陥る。それは自分ではないのに、自分として書いているというわけだ。「字は体を表す」が改名した字はやはり自分自身を表していると思わされるのだ。
◆戒名というのがある。実はこれも改名なのである。
ただ生きているときの改名ではなく、死んでからの改名な点が違うのである。
戒名というのは、当人があの世に旅立ってから、俗世を離れて仏道修行をするための受戒名なのだ。だから、死んで坊さんになるということを意味している。要するに坊さんにならないと救われないよ!ということなのだろう。
昔の人は、よくよく念がはいっていたようで、幼名をもらって幼児期を過ごし、大人になるに及んで元服名をもらい、老境に入ってからは雅号などを持ち、死んでからは戒名をもらうといった具合である。
要するに、名前を変えることによってうまく自分を脱皮する術を身につけていたといえるであろう。そういう意味では現代人は世渡り下手ということにもなる。
◆名前を変えることには、それだけの理由がある。
動機がしっかりしているのだ。その動機はどこから生まれてきたか?
それが問題だが、人生という足跡が自分のあるべき姿に対して抵抗を試みているのだ。
「自分はもっとこんな人間のはずだ。」そういう叫びが、改名の中に隠されている。その叫びを聞くところから改名は始まるのだ。
改名によって、新しい出発のビジョンがそこに見えてくる。
◆2008年の初めから天下の松下が「パナソニック」に社名を変更した。いわゆる企業の「改名」である。グローバル化が進めば進むほど、世界に通用する名前というものが問われるようになる。
そこには、名前の持つ運勢というものもある。それと同時に、覚えやすい、発音しやすいということが問われるということを意味している。
だから、改名や命名にも音のリズムや音韻変化の法則を見なければならない。それでこそグローバル化時代の運勢ということになる。
◆改名ということはよほど決意しないと等と堅く考えている人が多い。そういう人は自分の可能性を自分で閉じてしまっている。その昔名前というのは、もっと自由に使っていた。名前を自由に使うことで実は自己表現の幅を広げていたということだ。それが、雅号であったり作家名であったりというわけである。同じように、自分の位置や立場に合わせて名前を変えるのは当たり前だ。そう考えると現代はちょっと窮屈なようであるが、だからこそ改名する人にはチャンスが大きくめぐってくるような気もする。
◆何事もそうだが、ある一定の成果が出てくるには時間のいうものがいる。この時間の待てない人とこの時間をしっかりと忍耐する人がいる。改名というのもそういうものだ。すぐに結果はでないかも知れないが、その間しっかりと自分造りが進んでいることになる。そういう熟成の期間があって新しい自分が改名の実りとなって現れるようになるのだ。「待つ」という勇気こそみんなに必要な栄養素だ。
◆改名というのは、そこに相当の理由があるからこそ改名という手段に至ることが分かる。それでは名を改める理由というのは何だろう?一言でいえば「新生」である。再び骨髄の中に入って、新たな血を造り出す。甦りではない。新たなる誕生だ。だから、改名後には新しい天と新しい地が用意されている。
◆自分の名前を考えてみると面白い。気がついてみると皆が自分をそう呼んでいる。それを不思議とも思わないで受け入れてきた。でも、呼ばれている自分とその名前は本当の自分なのだろうかというのがいつも心のどこかで叫んでいる。そんな経験をした人もいるはずだ。そんな時は、新しい自分を創りなさいという叫び声だ。もう一人の自分がそれを要求している。改名はその心の叫びに答えるということなのだ。
◆改名することにはロマンがある。そのロマンは時間をかけて自分造りをしなければならないから、ある意味では自分に対する投資でもある。だからそういうロマンを持てるということが素晴らしく生きているということだ。たとい今悩んでいても、改名で自分にかける希望を持っているということは、人生という壮大なロマンを愉むことになるのだ。
◆改名というのは、自分を改めるということである。自己の改革というエネルギーがそこにはある。このままでいることを潔しとはしない「力」を持っている心の方向性が「改名」へと向かわせるのだ。それは新しい自分を発見するためのチャレンジである。
◆改名という考えは実は生と死の二つの狭間の中にある。それは、宗教に深く根ざしている。仏教では戒名がそれである。戒名は実は死んでつけるものではなくて、お坊さんになったときにもらう新しい名前である。これは新しく仏の元で生まれ変わったことを意味している。同じことが西洋でもある。キリスト教のホーリーネームである。これも洗礼を受けてもらう名前である。ココには生から死への復活の意味が込められている。改名も生から死への復活ということと同じなのだ。
◆改名することは、自分を新しくするということである。これは前から言ってきていることなのであるが、それではなぜ改名と自分が一致するようになるかということが問題である。それは、人間が自己創造の結果物であるということなのである。様々な心的な環境によって自己が創られてきているので、改名という心的な環境を変えるということが、新たな自己を生むことにつながるのである。
◆改名はそれを願う人の動機の強さが問題だ。何故かというと、新しい自分を出発するのに、古い自分にとらわれていては、最新の自己創造はできなからだ。新しい葡萄酒は新しい革袋に入れるべきである。というのが、正しい改名の仕方になる。新しい革袋は、改名の名前であり、新しい葡萄酒は生まれ変わった自分なのである。
◆「改名しようかな?」と思う人のほとんどが、自分の人生でいいことがないのは名前が悪いのではないか?と考えてのことだと思う。それは半分あたっているけど、半分はあたっていない。というのも、姓名の持つ運命式は、それを運用する人の活用の仕方にも依るからである。どちらにしても、自分造りをもう一度したいと思う人であるならば、改名ほど効果のあるものはない。
◆改名をすることで自分は新しい自分を演出したいと思うのだろう!だから、趣味などで何かの作品を発表するようなチャンスに恵まれたときには、「雅号」を持ち出す。新しい生まれ変わった自分をみて欲しいからに違いない。そんな変身願望を満たしてくれるのも改名というペンネームだ。だからプチのつもりで一字を変えてもそれは大きく運命式に変化を及ぼす立派な改名になるのだ。その恐ろしさと素晴らしさは、同じように運命式に表れる。
◆改名に執心する人がいる。改名でものごとが成就するのではない。改名した運勢を転機として結果を創造するために改名があるのである。本末を転倒してはいけない。要は改名した名前に依存していても本当の運勢はやってこないということだ。名前は使い切ってこそ価値があるというものだ。
◆最近は改名に関心を持つ人が多い。それで戸籍から変えようという人もいるくらいだ。でもちょっと待った!戸籍から変えたらまた変えることができなくなるということだ。昔、ちょっとした人は雅号を持っていた。これは自分が化けるための術なのである。違う自分を表現することが可能になることを知っていたからだ。
◆昔の人は人生の節目に改名をした。例えば徳川家康は、元服したときの名前が松平元康。この名前の時に今川家から解放された。そして新たに徳川家康を名のる。実はこの改名こそ天下をとる元になったのである。その節目を分かるというのもすごい人物の証拠だ。
◆改名してみなさい。改名の本当の効果が分かるからだ。そういうことにしている。勇気のない人が改名に足踏みしている。自分が主体でないから、全部を名前の性にしようとしているから自分を変えられないということだ。順序を間違えている。自分が一番だ。その自分の装いを新たにしてくれるのが名前ということだ。だから、改名が自分を創るといえる。
◆自分が求めていないのに、何となく人に言われたから、改名でも考えようかなという人は、改名などはやめた方がいい。やけどをするのが落ちだからだ。改名はちゃんと自分と向き合った人が自己を再創造するという道だから、何となくでは改名の本当の価値はわからなくなってしまう。するといつの間にか元の木阿弥になってしまう。それだけではない。自分をもてあそべばいつか自分にそれが返ってくることになる。
◆改名をしてみると、そこから様々な現象が起こってくる。当然だ。改名で運命式が変わったからだ。この運命式というのは、電波を受信するテレビのアンテナのようなものだ。同調する周波数を変えたのだから、人の心に映るテレビの画像も変わってくるということになる。改名で運命式が変わると、今までとは違った自分の世界を映し出すことが可能になると言うことだ。人生は何に同調するかと言うことで大きく変わるという真理がある。
◆改名をして人生をスタートすると、何故か世界がそこから動き出すような気になってくる。今まで動かなかった自分のまわりが急に動き出したように思うのだ。それは、改名によって自分の心の世界が動き出したので、回りの世界も動いているように見えるのだ。自分という主体がしっかりしてくるとそれに巻き込まれる環境が出てくるようになるのだ。改名は自分変革の第一歩。
◆改名は開命ということに通じる。いろいろと考える要素はあるのだが、いざ改名ということになるとよほど決意をしないとできない。それは今までの自分をリセットするということだからだ。今まで人は自分をリセットできないと思ってきた。しかし、名前の原理を知ってみると人生というのは意外にもリセットできるという事実がわかったということは、大きな希望の光だ。
◆改名は開命になったり、改命になったり、会命であったり、解命ということもあり、というように名前を改めてみるとその人の世界が一変することになる。違う自分がそこにいるということなのだ。そんな感覚は改名をしてみた人にしか見えないかも知れないが、改名をするというのはそれだけすごいことになるということだ。
◆先祖の知恵を上手く活用することも現代人の知恵である。天下をとった秀吉公もたびたび名前を変えて改名している。それはその時に最も自分に必要な運勢を呼び込む為である。名前を操って上手く自分を活かすことができる教訓です。だからこそ、その知恵を上手く活用して名前の改名というのも人生の中に取り入れるということが賢い生き方といえる。
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