09年世界選手権韓国大会の大回転とスーパー大回転で準優勝。ワールドカップカナダ大会の滑降3位。
車イス・スキーヤーとして、4年前のトリノパラリンピックに出場。回転で27位という成績に終わり、一度はどん底に突き落とされた。バンクーバーでは、その雪辱を期す。「自分の滑りを出し切ることができれば、メダル争いの自信はある。これまで支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝えたい」と、来月12日から始まる大会に向け意欲を燃やしている。
父親がスキーの指導員をしていたので、3歳からスキーを始めました。小学校3年生で事故に遭って下半身不随となり、それまで趣味程度だったスキーを競技として始めたのです。
前回のトリノでは、自分の甘さを知りました。精神、肉体、意識のすべての面において次元が低かった。銀メダルを取った先輩を見て、「このままじゃダメだ。自分もメダルが欲しい」と痛烈に思ったのです。あの大会を機に、より真剣に競技と向き合うようになりました。そうした意味では、トリノがスタート地点で、今回のバンクーバーは通過点ですね。
就職活動では、スキー競技を続けさせてくれる企業に入りたいと、自分で作った資料を130社以上に送り、思いをぶつけましたが、話を聞いてくれたのは、4、5社ほど。その中で、「情熱にひかれた」と私の思いを受け止めてくれたマルハンに縁あって入社し、パラリンピックに出場することになりました。
日本の障がい者アスリートは、チーム独自でスポンサー探しをすることから、海外に比べて、トレーニングセンターなどの施設面、優秀なコーチといった人材面、それに資金面でもまだ環境は不十分です。そうした問題がクリアされれば、日本が世界最強のチェアスキーチームになれる可能性もあると思います。
天性のものですが、私は色々な困難も「壁」と思わない性格。「何があっても、それが狩野亮であり、その人生だ」と思うので、常に「何が起きても受け入れる」という姿勢でいます。 |