そういう複雑な政治状況の中でのリーダーシップは、頼朝のような運命式は最適であるかと思います。
そこで、過去の頼朝の記事を引用しましょう!
------------虹のたよりの頼朝の記事から---------------------
源頼朝という人は、この運命式から観るとなかなかの切れ者といっていいと思います。元々都の武士貴族になりますから、といっても父義朝の三男ですがちゃんとした嫡子です。父と共に平治の乱についていったのですが、破れて落ち延びたのですがとらえられ、一命を保たれて伊豆へ流されて流罪の身となります。
そこで、写経三昧だったといわれていますが、それだけではないと思います。
先ずは、彼の心霊運はなかなかの知的な頭脳を持っていることを証明していますし、その分神経質ではありますが、それと全く異なる多くの人との親和性というか柔軟性を本性はもたらしています。こういう矛盾した世界は、多く指導者層には重要な資質なのです。何故かというと、人を指導しようという立場につくということは、右から左まで対応しなければならないからです。ましてや、この極端に難しい時代に、鎌倉幕府を成立させていく手腕は並々ではないと思います。このように、知的で優れた情報と知恵を持ち、多くの人に柔軟に対応しながら、指導力を発揮するというのは、大変なことであったはずです。そしてそれを可能にする仕事運を持っていたのです。
頼朝という人は、知的で人情に流されるような人ではなく、相当な知恵を持っていてそれをしっかりと状況に合わせながら、仕事としてはちゃんと命令していく強さを持っていたということがいえるでしょう!
人気運をみてみましても、人に居丈高に接するというような人ではなく、本当に貴族にふさわしく、相手に思いやりをしっかりと見せられるのはなかなかと考えた方がいいでしょう!それは、ちゃんと計算された世界から思いやりを見せられるということなのです。
だからこそ、東国の武士団も武士の統領として仰ぐことができたのではないかと思います。
↑↑↑↑↑↑↑ 虹のたよりからの引用 ↑↑↑↑↑↑↑
★ここで、頼朝によって滅ぼされた義經の運命式を出しておく
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