★1751年 日向高鍋藩主・秋月種美の次男として出生・秋月松三郎と命名
<秋月松三郎の運命式・9才までこの名前で通す。>
25 13 24
21 33 15
29 20 24
秋月氏の祖は、平安時代に伊予で反乱を起こした藤原純友を討伐した大蔵春実である。この功績により、春実は九州に所領を与えられ、大宰府の官人となって筑前に土着したと言われている。このことからもわかるように、秋月氏は名族であったことがうかがえる。
運命式をみると、松三郎若様は、勘が鋭く、知識欲が旺盛でなかなか自分の主体性が強い人として成長してきたのではないかと思います。運命式の社会的な性格からそれが伺えます。また仕事運は人に関わる仕事に運勢がありますから、このままの名前でいれば、部屋済みでもいいお殿様になったのではないかと思います。
★1760年 米沢藩主上杉重定の養嗣子となり、上杉直松を名乗る
<上杉直松の運命式・9才から12才まで>
18 10 18
11 26 15
19 16 15
上杉家に養子に来て、この名前に改名したのですが、この3年間はあまり主体的に活動できる運勢ではありません。どちらかというと、知識と情報を集め、それらを深く内省したり、作戦を立てたりなど方向性は内向きになっているときです。しかしながら、このときに深く物事を考えて人の内面の心理的なものまでわかる油になっていたということはとても重要なことで、その後の治憲の米沢藩改革に大きな影響を与えたと思われます。
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