★1763年 元服 上杉直丸勝興と改名
<上杉勝興の運命式・12才から16才まで>
26 10 22
19 38 19
31 28 35
元服してから、家督を継ぐまでほぼ4年間の運勢では、これまでの知識偏重型の運勢から、それらを集大成して構想理想へと発展させる運命式に転換しています。その構想理想だけでは意味がないのですが、それらをどうするかという方法論までしっかりと考えられる運勢を持っているということは、鷹山公(治憲)は米沢藩にとって改革のために先祖が送ったのではないかと思えるほどの流れになっています。但しこのままで世に出るには仕事運が十字架を背負っている運勢ですから、この名前で藩を運営することはできなくなると思います。それを暗示するかのように人生を無意味にする暗示を持っている運命式ですから、大きな問題です。しかし、この時期に様々な構想をふくらませるためにあったとするならば、これはすばらしい期間であるといえます。
その証拠に、「当時、米沢藩で奸臣と見なされていた直江兼続の200回忌法要に香華料を捧げたという。」ということがあります。これは過去の米沢の歴史をひもとき、その出発と構想のアイデアを直江兼続に求めたであろうということは創造されます。
★1767年 米沢藩を継ぐ 上杉治憲(徳川家治の1字を賜る)と改名
<上杉治憲の運命式・16才から52才まで>
26 10 18
19 34 15
27 24 31