日本人として初めて解剖学の講義を行った。
そのほか、改進党で活躍し、福井県知事となった波多野伝三郎、検察官として活躍し、後に法務大臣となった小原直(なおし)、東京帝国大学総長となった小野塚喜平次、洋画家の小山正太郎、明治期の日本最大の出版社である博文館を創業した大橋佐平、連合艦隊司令長官・山本五十六など、各分野で実に多くの人物が育っている。
明治新政府軍との戦いに敗れ、3度の粥にもことかく状態に追い込まれた長岡藩から、かくも多くの人材が育って、近代日本の発展に貢献したことは、虎三郎の「食えないから、学校を立てる」という考えが正しかったことを証明している。
■小林虎三郎とはどんな人物でしょうか?
この人がどんな人であるかを知るには、運命式を出してみて、その人となりを把握してみることが一番いいでしょう!
どうしてこんな「米百俵の精神」が生まれたのでしょうか?
その秘密も実は運命式の中に隠されていると思います。
<小林虎三郎の運命式>
23 11 22
15 31 19
23 20 28
★危機に強い指導者
リーダーのリーダーたるところは、危機に際して何をするかということであると思います。その点、この小林虎三郎は長岡藩を預かる身として、藩の窮状と危機的な状況を知っていて、尚かつこのような「米百俵に対する決断」を下した背景はどこにあるのかということです。
その秘密は、仕事運にあると思って下さい。
リーダーとしては、実はこの仕事運はあまり良いとはいえないのです。なぜ
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