高氏で天下をとったのは、自分の意志というよりは天下の意志がそれをしたように思う。何故ならば、いくら足利家に天下をとるという秘文があっても、それを現実化するには、相当な環境圏が整わなければできない相談だ。
そこに後醍醐天皇という天皇家の中でも問題の人物が登場することになる。
彼の運命式からいうと、一途な強い思い込みとそれに伴う作戦的な思考はとてもいい組み合わせだ。しかし、仕事運からいうと非常になれる実行力が今一ないといえる。そこがぼんぼんといわれる由縁なのだが、それも人徳になるかもしれない。そこに後醍醐天皇が出てきたから、結局は決断をせざるを得なくなったということだ。そして、建武の親政がなることになる。
そこで新政権には高氏は加わらなかった。後醍醐天皇から一字を賜って尊氏と改名したのだが、新しく尊氏になって運勢が大きく変化し始めたのだ。
<足利尊氏の運命式>
18 14 26
11 30 19
23 16 23
この尊氏になることによって、彼は誰のいうことも聞きたくなくなる。自分の決断で行動を決めたいし、自分が命令したくなったということになる。
だから、後醍醐天皇をどうも嫌いになったらしいのだ。
結局は尊氏は後醍醐天皇の建武の親政がうまくいかないことを見越しての作戦に出たということらしい。こうして天皇親政という復権を武士達の勢力が尊氏に集結するのを待ちに待って足利幕府を開いている。
この足利政権は様々な問題をはらんでいる。有力武士の寄り合い所帯、それに南朝派の武将、北朝はの武将など様々な不安定要因をいっぱい持っているのだ。
そこで、尊氏は「君臨すれど統治せず」という政治体制を敷いた。これがさらに混乱に拍車をかけることになる。
これが足利幕府の産みの苦しみということになる。その苦しみを尊氏は背負ったことになる。
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