<松平元康>
24 13 17
19 28 9
23 15 20
竹千代が元服して松平元信になり、しばらくしてすぐに松平元康に改名した。それは、祖父清康の諱をつけたかったからである。
この松平元康の運命式を見ると、乱世にあって自分で道を切り開いていく乱世型の武将であることが分かる。だから、相当主体性があって、尚かつ成果主義で作戦家でもある。リーダーとしては心強いリーダーであることが分かる。
それが、今川義元が桶狭間の戦いで敗れると、岡崎に残り今川と袂を分かつことになる。人質を今川家に残しながらもその決断をしたのは、それくらい自分の本拠地に残りたいという彼岸であったに違いない。またそれくらい、今川家での居心地が悪かったということである。部下達は常に捨て石として戦場では死地に追いやられるという扱いだから、日頃の怨念が爆発したということだ。
この松平元康の名前だからこそ、この果敢な決断ができたということだ。そこを見落としてはならない。もし、松平元信のままであったら、こういう決断ができたかは疑わしい。
<松平元信>
22 13 17
17 32 9
27 19 24
この名前の運命式であれば、利害得失を考えて、自分の守りに入ったであろうから、多くの犠牲を払ってでも岡崎にはいるという決断はできなかったに違いない。そういう意味では、名前を変えるタイミングが実にいいことになる。それを知っていて改名したわけではないのであるが、それは天がそのように導いたとしか考えようがない。
|